大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和49年(特わ)905号 判決

被告人 槇枝元文

大一〇・三・四生 組合役員

増田孝雄

大一五・一一・一四生 組合役員

主文

被告人両名をそれぞれ罰金一〇万円に処する。

被告人両名においてその罰金を完納することができないときは、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置する。

被告人両名に対し、別紙訴訟費用負担表記載のとおり、訴訟費用を負担させる。

理由

(目次)

I  事実

(日教組等の組織と被告人両名の地位)

(本件ストに至る経過)

(罪となるべき事実)

第一  被告人槇枝元文関係

一 「あおりの企て」

二 「あおり」

第二  被告人増田孝雄関係

一 「あおりの企て」

二 「あおり」

II  証拠の標目

III  法令の適用

IV  主な争点に対する当裁判所の判断

第一  本件ストライキの規模、性格、結果などについて

第二  地公法三七条一項、六一条四号の合憲・違憲問題

一  最高裁判所判例の確立とその拘束性

二  右判例を批判する弁護人の意見について

1 職務の公共性を理由とする争議権の制限について

2 いわゆる勤務条件法定主義ないし財政民主主義の原則を理由とする制限について

3 代償措置について

4 地公法六一条四号の合憲性について

第三  本件事実関係をめぐる問題

一  「あおり」と「あおりの企て」の意義

二  いわゆる下部組織からの「盛り上がり」と「あおり」等の該当性について

三  被告人槇枝の「あおりの企て」について

1 日教組第四四回臨時大会

2 指示第一八号

3 第五回全国戦術会議

4 総括

四  被告人増田の「あおりの企て」について

1 都教組第五七回臨時大会

2 指示第八二号

五  被告人両名の三・二九指令による「あおり」について

六  被告人両名の四・九指令による「あおり」について

第四  本件事実関係に基づく固有の主張について

一  異常インフレと不十分な代償措置下でのストライキは適法であるとの主張について

二  可罰的違法性阻却の主張について

第五  公訴権濫用による公訴棄却の申立について

第六  結び

V 量刑の理由

I  事実

(日教組等の組織と被告人両名の地位)

日本教職員組合(以下、日教組と略称する。)は、地方公務員である公立学校教職員らによつて都道府県単位で組織されている教職員組合(単位組合)その他の連合体組織であり、昭和四九年四月当時五〇万人を超える組合員を有していた。その組織機関としては、決議機関としての大会及びこれにつぐ中央委員会、執行機関としての中央執行委員会(闘争時には中央闘争委員会となる。)などがあり、中央執行委員会は、「大会並びに中央委員会に提出する議案に関すること」、「議決機関から与えられた事項の執行に関すること」などについて権限を有し、中央執行委員長(闘争時には中央闘争委員長)は、右委員会の議長となるほか、組合を代表し、会議の招集その他の権能をもち、更に規約外の諮問機関として、全国委員長・書記長会議、全国戦術会議等があつた。

東京都教職員組合(以下、都教組と略称する。)は、東京都下の学校教職員らによつて組織されている単一体の組合であり、支部及び各学校に分会をもち、昭和四九年四月当時約三万三〇〇〇人の組合員を有していた。その組織機関は、決議機関としての大会及びこれにつぐ委員会、執行機関としての執行委員会など、基本的には、日教組の場合に準じている。北海道教職員組合(以下、北教組と略称する。)、岩手県教職員組合(同じく、岩教組と略称する。)、埼玉県教職員組合(同じく、埼教組と略称する。)、広島県教職員組合(同じく、広教組と略称する。)等の各組織、機関も、基本的には右都教組の場合と同様である。

そして、被告人槇枝元文は、本件当時右日教組中央執行委員長(闘争時には中央闘争委員長)であつたもの、被告人増田孝雄は、同様、都教組執行委員長(昭和四八年九月から同四九年三月末までは執行委員長代行)であつたものである。

(本件ストに至る経過)

日教組は、昭和四八年のいわゆる「七三春闘」終了後間のない同年七月群馬県前橋市で開催された第四三回定期大会において、翌四九年のいわゆる「七四春闘」においては、「賃金の大幅引上げ・五段階賃金粉砕」「スト権奪還・処分阻止・撤回」「年金をはじめとする国民的諸課題」の三大要求実現をストライキ目標とし、国民春闘として官民一体となつた一大統一ストライキを組織することなどを主たる内容とする運動方針を可決・決定し、その後これを受けて、全国委員長・書記長会議、全国戦術会議及び中央委員会などでの度重なる討議を通じてその内容を順次具体化し、これに基づき中央執行委員会においては、「七四春闘方針案」を「第一次職場討議資料」としてとりまとめ、同年一二月末ころの日教組教育新聞に登載して組合員らに配布した。

また、都教組本部は、日教組の右第四三回定期大会をはじめとする各種会議で決定された七四春闘構想を受け入れて、大幅賃上げ、物価値上阻止、スト権奪還等を要求課題として七四春闘を全労働者、全国民的規模のたたかいに発展させる、このため昭和四九年四月中旬から下旬にかけて第一波二時間、第二波全一日ストライキの万全な態勢を確立すること等を主たる内容とする「当面の春季闘争について(案)」をとりまとめ、昭和四九年一月に開催された都教組拡大戦術委員会において確認のうえ、同年一月上旬ころの新聞都教組に「職場討議資料」として登載して組合員に配布し、ついで、臨時本部委員会を開いて右「当面の春季闘争について(案)」を可決・決定するとともに、更に、七四春闘における都教組としてのたたかいの基本的態度等に関する「七四春闘勝利のために(都教組第一次案)」をとりまとめ、同年一月下旬ころの新聞都教組に登載して組合員らに配布した。

こうして、日教組及びその意を受けた都教組は、いずれも、七四春闘へむけて、ストライキ戦術を含む闘争方針を基調とする職場討議を組織的に進めていった。

(罪となるべき事実)

第一  被告人槇枝元文は、前記日教組第四三回定期大会以降の組織内討議の経過を踏まえたうえ、日教組さん下組合員である公立小・中学校教職員(以下、さん下小・中教職員と略称する。)らをして、春闘共闘委員会(以下、春闘共闘と略称する)、日本公務員労働組合共闘会議(以下、公務員共闘と略称する。)の統一闘争として、「賃金の大幅引上げ・五段階賃金粉砕、スト権奪還・処分阻止・撤回、インフレ阻止・年金・教育をはじめ国民的諸課題」の要求実現を目的とする同盟罷業を行わせるため、

一  昭和四九年二月上旬ころ開催の中央執行委員会において、まず、日教組本部役員らと共謀のうえ、日教組第四四回臨時大会に提出すべき後記の最終議案を決定して、同月二五日及び二六日の両日、東京都千代田区九段南一丁目六番五号九段会館で開催された日教組第四四回臨時大会に臨み、その席上、右臨時大会出席の同大会代議員であるさん下各都道府県教職員組合(以下、各県教組と略称する。)役員らとも共謀のうえ、春闘共闘、公務員共闘の統一闘争として、日教組さん下小・中教職員らをして、同年四月中旬に、前記要求実現を目的とする第一波早朝二時間・第二波全一日の各同盟罷業を行なわせること、そのため、右闘争に関する組合員への指令権は日教組中央闘争委員長(被告人槇枝元文)に委譲されたものとし、中央闘争委員長が全組合員に対し右同盟罷業の行動指令を発すること、右の指令は各県教組ごとに批准投票を行なった結果に応じて発するが、その間組合員に対し同盟罷業実施体制確立のための説得慫慂活動を実施することなどを決定し、右大会終了後開催された中央闘争委員会において、日教組本部役員らと共謀のうえ、同月二八日ころ、同区一ツ橋二丁目六番二号教育会館内の当時の日教組本部において、同月二八日付日教組中央闘争委員長槇枝元文名義の各県教組委員長あて指令第一八号を書面で発出して、右臨時大会における右同盟罷業実施についての決定を伝達するのと合わせて同盟罷業実施体制の確立を指示し、更に、その後開催された中央執行委員会において、日教組本部役員らと共謀のうえ、日教組第五回全国戦術会議提出議案を決定するとともに、同年三月一九日、右日教組本部において日教組第五回全国戦術会議を開催し、その席上右戦術委員会出席の同委員会委員である県教組役員らとも共謀のうえ、右同盟罷業を行なわせる日教組さん下の小・中教職員は東京都など二五都道府県の組合員とすること、右同盟罷業は春闘共闘、公務員共闘の方針に基づきゼネスト体制を強化するため、第一波四月一一日全一日、第二波同月一三日早朝二時間(都教組は半日)に配置することとするが、実施日の最終決定は春闘共闘、公務員共闘の同年三月二七日における決定にまつこととし、もって地方公務員に対し、同盟罷業の遂行をあおることを企て、

二  1 前述のとおり、春闘共闘等により、当初同年三月二七日に同盟罷業実施期日の決定がなされる予定であつたところ、これが延期されて同月二九日となり、同日、右同盟罷業は同年四月八日から一四日までを春闘共闘第四次統一行動期日としてゼネストを行なう旨決定され、同日、公務員共闘もこれに合わせて同月一一日から一三日にかけて「一日ストライキ・半日ストライキ」を反覆決行する方針を確認したところから、

(一) 同年三月二九日、日教組本部役員らと共謀のうえ、同都新宿区中落合三丁目一六番一三号ホワイトビル内の当時の日教組本部において、日教組本部名義の「春闘共闘戦術会議の決定を受け、公務員共闘は四月一一日第一波全一日ストライキを配置することを決定した。各組織は闘争体制確立に全力をあげよ。」との趣旨の指令を電報で北教組あてに発出し、更に、これを受けた北教組本部役員らとも順次共謀のうえ、同月三〇日ころから同年四月九日ころまでの間、北海道内において、北教組さん下小・中教職員多数に対し、北教組支部役員らを介して右指令の趣旨を伝達し、

(二) 同年三月二九日、日教組本部役員らと共謀のうえ、右日教組本部において、右(一)と同趣旨の指令を東京都教職員組合連合(以下、都教連と略称する。)を介して都教組あてに発出し、更に、これを受けた都教組本部役員らとも順次共謀のうえ、同日ころから同年四月八日ころまでの間、東京都内において、都教組さん下小・中教職員多数に対し、都教組支部役員らを介して右指令の趣旨を伝達し、

(三) 同年三月二九日、日教組本部役員らと共謀のうえ、右日教組本部において、右(一)と同趣旨の指令を電報で岩教組あてに発出し、更に、これを受けた岩教組本部役員らとも順次共謀のうえ、同月三〇日ころから同年四月八日ころまでの間、岩手県内において、岩教組さん下小・中教職員多数に対し、岩教組支部役員らを介して右指令の趣旨を伝達し、

(四) 同年三月二九日、日教組本部役員らと共謀のうえ、右日教組本部において、右(一)と同趣旨の指令を電報で埼教組あてに発出し、更に、これを受けた埼教組本部役員らとも順次共謀のうえ、同日ころから同年四月一〇日ころまでの間、埼玉県内において、埼教組さん下小・中教職員多数に対し、埼教組支部役員らを介して右指令の趣旨を伝達し、

(五) 同年三月二九日、日教組本部役員らと共謀のうえ、右日教組本部において、右(一)と同趣旨の指令を電報で広教組あてに発出し、更に、これを受けた広教組本部役員らとも順次共謀のうえ、同日ころから同年四月八日ころまでの間、広島県内において、広教組さん下小・中教職員多数に対し、広教組支部役員らを介して右指令の趣旨を伝達し、

2 同年三月下旬ころ、中央闘争委員会において、日教組本部役員らと共謀のうえ、七四春闘を成功させるための特別教宣計画の一環として、組合員に直接呼びかけるために、同年三月末ころから同年四月初めころまでの間、都内から、北教組・都教組・岩教組・埼教組及び広教組の各さん下小・中教職員多数に対し、前記二・1・(一)記載の指令と同趣旨の記事を登載し、かつ「歴史的な全一日ストを総力をあげて成功させよう」などと記載した日教組教育新聞一九七四年三月二九日付号外「七四春闘第四次全組合員配布」を郵送するなどして頒布し、

3 (一) 同年四月九日、日教組本部役員らと共謀のうえ、前記ホワイトビル内の当時の日教組本部において、北教組さん下小・中教職員に対する日教組本部名義の、前記日教組第五回全国戦術会議の決定に基づき予定どおり四月一一日全一日ストライキに突入せよとの趣旨の指令を北教組あてに発出し、更に、これを受けた北教組本部役員らとも順次共謀のうえ、同日ころから翌一〇日ころまでの間、北海道内において、北教組さん下小・中教職員多数に対し、北教組支部役員らを介して右指令の趣旨を伝達し、

(二) 同年四月九日、日教組本部役員らと共謀のうえ、右日教組本部において、都教組さん下小・中教職員らに対する右(一)と同趣旨の指令を都教連を介して都教組あてに発出し、更に、これを受けた都教組本部役員らとも順次共謀のうえ、同日ころから翌一〇日ころまでの間、東京都内において、都教組さん下小・中教職員多数に対し、都教組支部役員らを介して右指令の趣旨を伝達し、

(三) 同年四月九日、日教組本部役員らと共謀のうえ、右日教組本部において、岩教組さん下小・中教職員に対する右(一)と同趣旨の指令を電話で岩教組あてに発出し、更に、これを受けた岩教組本部役員らとも順次共謀のうえ、同日ころから翌一〇日ころまでの間、岩手県内において、岩教組さん下小・中教職員多数に対し、岩教組支部役員らを介して右指令の趣旨を伝達し、

(四) 同年四月九日、日教組本部役員らと共謀のうえ、右日教組本部において、広教組さん下小・中教職員に対する右(一)と同趣旨の指令を電話で広教組あてに発出し、更に、これを受けた広教組本部役員らとも順次共謀のうえ、同日ころから翌一〇日ころまでの間、広島県内において、広教組さん下小・中教職員多数に対し、広教組支部役員らを介して右指令の趣旨を伝達し、

もつて、地方公務員に対し、同年四月一一日の同盟罷業の遂行をあおり、

第二  被告人増田孝雄は、都教組さん下小・中教職員らをして、春闘共闘、公務員共闘の統一闘争として、「賃金の大幅引上げ、五段階賃金粉砕、スト権奪還・処分阻止・撤回、インフレ阻止・年金・教育をはじめ国民的諸課題」の要求実現を目的とする同盟罷業を行なわせるため、

一  まず、昭和四九年二月中旬ころ、前記教育会館内の当時の都教組本部において、春闘共闘等の方針や日教組第四四回臨時大会提出議案の内容等を参酌して、都教組第五七回臨時大会に提出すべき議案として、春闘決議段階に第一波(四月中旬)早朝二時間ストライキ、第二波(四月中旬)全一日ストライキを組織すること等を主たる内容とする原案を決定し、そのころ、それを都教組新聞に登載して組合員らに配布し、ついで、同年三月上旬ころ、東京都労働組合連合の第一波半日、第二波全一日の同盟罷業決行の方針並びに前記のとおり二月二五日・二六日の両日開催されていた日教組第四四回臨時大会の決定内容及び前記指示一八号等を受け入れて、結局同年四月中旬に前記同盟罷業を遂行することを槇枝元文ら日教組本部役員及び都教組本部役員らと共謀のうえ(ただし、都教組第五七回臨時大会に提案する戦術においては、第一日は半日の同盟罷業と変更することに決定された。)、同年三月八日、同都千代田区一ツ橋二丁目二番一号共立講堂で開催した第五七回都教組臨時大会に臨み、その席上、右臨時大会出席の同大会代議員らとも共謀のうえ、前記日教組第四四回臨時大会決定及び日教組中央闘争委員長槇枝元文名義の前記指示第一八号を受け、春闘共闘、公務員共闘の統一闘争として、都教組さん下小・中教職員らをして、同年四月中旬に、前記要求実現を目的とする第一波半日、第二波全一日の各同盟罷業を行なわせること、組合員に対し同盟罷業実施体制確立のための説得慫慂活動を実施することなどを決定し、ついで、都教組本部役員らと共謀のうえ、同年三月一三日ころ、前記教育会館内の当時の都教組本部において同日付都教組執行委員長代行増田孝雄名義の都教組各支部長・分会長あて指示第八二号を書面で発出して、右第五七回臨時大会の右同盟罷業実施についての決定を伝達するとともに同盟罷業実施体制確立を指示し、もつて、地方公務員に対し、同盟罷業の遂行をあおることを企て、

二  1 同年三月二九日に日教組本部から都教組あてに発出された前記「春闘共闘戦術会議の決定を受け、公務員共闘は四月一一日第一波全一日ストライキを配置することを決定した。各組織は闘争体制確立に全力をあげよ。」との趣旨の指令を受けるや、即日、同都豊島区南長崎二丁目一三番六号山手ハイツ内の当時の都教組本部において、これを発出した槇枝元文ら日教組本部役員並びに都教組本部役員らと共謀のうえ、これを、更に、都教組さん下小・中教職員多数に伝達することを決定して、そのころ、都教組支部役員らに電話で連絡し、更に、これを受けた都教組支部役員らとも順次共謀のうえ、同年三月二九日ころから同年四月八日ころまでの間、東京都内において、都教組さん下小・中教職員多数に対し、都教組支部役員らを介して伝達するとともに、新聞都教組一九七四年四月五日付九八二号に同趣旨の記事を登載し配布して、右指令を伝達し、

2 都教組本部役員らと共謀のうえ、同年四月三日、同都文京区本郷一丁目四番一号全水道会館において第一回都教組支部長・書記長会議を開催し、その席上、都教組支部役員らとも共謀のうえ、右1記載の指令の趣旨を確認するとともに「七四春闘一日・半日スト行動規制」及び「七四春闘一日および半日ストを成功させるための取組みの基本」と題する都教組執行委員会名義の文書を配布して、四月一一日の同盟罷業に際し組合員らが執るべき行動を指示し、同月三日ころから同月一〇日ころまでの間、東京都内において、都教組さん下小・中教職員多数に対し、都教組支部役員らを介して右指示の趣旨を伝達し、

3 同年四月九日に日教組本部から都教組あてに発出された前記日教組第五回全国戦術会議の決定に基づき、予定どおり四月一一日全一日ストライキに突入せよとの趣旨の指令を受けるや、即日、前記山手ハイツ内の当時の都教組本部において、これを発出した槇枝元文ら日教組本部役員並びに都教組本部役員らと共謀のうえ、これを、更に、都教組さん下小・中教職員多数に伝達することを決定して、そのころ、都教組各支部に連絡し、更に、これを受けた都教組支部役員らとも順次共謀のうえ、同年四月九日ころから翌一〇日ころまでの間、東京都内において、都教組さん下小・中教職員多数に対し、都教組支部役員らを介して右指令を伝達し、

もつて、地方公務員に対し、同年四月一一日の同盟罷業の遂行をあおつた

ものである。

II 証拠の標目(略)

III  法令の適用

被告人両名の判示各所為は、それぞれ包括して刑法六〇条、地方公務員法(以下、地公法という。)六一条四号、三七条一項前段に該当するので、所定刑中いずれも罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人両名をそれぞれ罰金一〇万円に処し、被告人両名においてその罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金二、〇〇〇円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して主文三項掲記のとおり被告人両名に負担させる。

IV  主な争点に対する当裁判所の判断

弁護人らは、被告人両名の判示各所為は地公法六一条四号に該当しないと主張し、その理由となりそうな点をことごとく採りあげて詳細・膨大な意見を述べている。そのなかには傾聴に値する見解もあるが、当裁判所は結論としてはこれを認めることができなかつた。そこで、以下その理由を述べるが、まず、議論の対象となる本件同盟罷業(以下、ストライキまたはストともいう。)の規模、態様、特徴などの具体的、全体的な事実関係の輪郭を明らかにしたうえで、これをめぐる主な争点についての当裁判所の判断を述べることとする。

第一本件ストライキの規模、性格、結果などについて

被告人両名が「あおりの企て」をし、さらに「あおつた」とされている本件ストライキは、いわゆる七四春闘(昭和四九年春闘)の山場と目された同年四月一一日、日教組が、春闘共闘委員会に参加している公務員共闘の決定と歩調を合わせ、初めて全国規模で全一日ストに突入したというものであり、戦術ダウンをしないで全一日のストに参加したのは公立小・中学校については全国で二五都道府県、その人員は、小・中学校教職員約一八万人(小野邦男の検察官に対する供述調書添付の表―被告人槇枝関係で取調済―には、合計一九万人に近い集計がなされているが、その内訳中、東京都に関する部分は、証人平野一郎の供述の方がより正確と考えられるのでこれによる。)、そのうち判示事実に直接関係する都道県、すなわち被告人増田の属する都教組は約二万四五〇〇人(証人平野一郎の供述参照)、北教組約二万一〇〇〇人、岩教組約六一〇〇人、埼教組約三五〇〇人、広教組約五八〇〇人(ただし、右のスト当日は公労協さん下の交通ストと重なり、これを理由とする欠勤者が相当数含まれている実情にあつたため、右の数値を全部本件ストへの参加者数とみることは必らずしも正確ではないが、一応の目安となる概数であることは動かない。)という大きな規模に達している。

右ストの闘争目標は、いわゆる「賃金の大幅引上げ、五段階賃金粉砕」「スト権奪還・処分阻止・撤回」「インフレ阻止・年金・教育をはじめ国民的諸課題」の三つを中心とするものであつた。検察官は、右ストの性格につき、組合側の中心的闘争目標は右三大目標のうちスト権とこれをめぐる諸問題にあり、賃金問題や国民的諸課題については政府と組合側の基本的な考え方が一致していたと認められるので、実体は「スト権をかちとるまでやめない覚悟」のスト、つまり政治ストであり、労働基本権による保護の枠外のストであるという。しかし、本件ストは、警職法反対とか学力テスト反対とかいう、純然たる政治目的あるいは教育政策など、本来組合交渉の対象とならない事項を目的とするストとは異なり、スト前年からのいわゆるオイルシヨツクによる異常な物価高騰・インフレによる実質賃金の目減り、教育現場における教育条件の破壊という経済的・社会的事情を基盤として生じたものであつて、賃上げ問題ももとより深刻な問題であつたこと、また、スト権問題というのも、従前の人事院勧告完全実施要求をめぐる闘争による処分の撤回、原状回復問題を含んでいて、単なる政策闘争と言えない側面を有していることはいずれもこれを否定することができず(詳細は後述)、前記のような意味における政治ストと一口できめつけるわけにはゆかない性質を多分に有しているものと認められる。

スト当日、これに参加した組合員らは、地区ごとに学校外の別の場所で開催された要求貫徹集会に参加し、あるいは交通ストの影響を蒙つた者は自宅近くの右集会に参加し、あるいは自宅待機をするなどしていずれも平常通りの登校をしなかつたが、それらの者において、ストに参加しない者の登校を阻止する等の積極的な妨害行為に出た形跡は全くない。しかし、右のストにより(交通ストと重なつたことは前述のとおり。)、判示事実にあらわれた都道県中、東京都都心部、札幌市中心部の一部を除く各地区の多くの小・中学校においては、下校時繰上げ、自習授業あるいは一部臨時休校の措置を余儀なくされるという影響を蒙つた。また、ストによる事故というようなものは生じなかつたようであるし、一日程度の授業の遅れは、それ自体は年間授業計画を進めるうえで取り戻すことも可能であろうが、新学年開始早々のストでもあり、教育というものの性質上、実害がなかつたというわけにはゆかないことも亦否定できない。本件は、そのような規模、性格のストライキに関して生じた事件である。

第二地公法三七条一項、六一条四号の合憲・違憲問題

弁護人らは、地公法が地方公務員の争議行為を禁止し(三七条一項)、そのような違法な争議行為の遂行をあおる等し、またはあおり等の行為を企てた者に対して刑事罰を規定していることは、勤労者の労働基本権を保障した憲法二八条や三一条、一八条等の関係規定に違反し無効であると主張し、多岐にわたる弁論を展開している。しかし、この点については、すでに、これを合憲とする最高裁判所の判例が相次いでなされ、途中曲折はありながらも、現時点では明確に確立され、その判旨は判例確立の経過からみて極めて強固とみられる状態にあつて、かつて、最高裁判例の趣旨が明確に定着していなかつた当時とは大幅に事情が異なつている。このような現状のもとにおいては、審級制度下にある下級裁判所としては、これを尊重し、原則としてこれに従うべきものであり、最高裁判例の趣旨に明らかに不合理な点があるとか、その判例が正当性の根拠としている基礎事情にその後大きな変動が生ずるなどこれに従うことのできない特別の理由が生じたとか、あるいは具体的な事例に特別の事情があつて判例上の解釈をそのまま適用すると著るしく不当な結果をもたらすなどの格別の理由が認められる場合ででもない限り、これと別異の判断をすることは適当でないと考えられる。以下分説する。

一  最高裁判所判例の確立とその拘束性

1 公務員の争議権禁止規定あるいは違法な争議行為の遂行をあおる等の行為に対する刑事罰規定の合憲性如何については、かつて最高裁判例上、公共企業体職員についての最高裁大法廷昭和四一年一〇月二六日全逓中郵事件判決(刑集二〇巻八号九〇一頁。以下、最高裁全逓中郵事件判決と略記する。)の判旨をうけて、国家公務員、地方公務員の双方につき、昭和四四年四月二日の二つの大法廷判決、すなわち、都教組事件判決(刑集二三巻五号三〇五頁。以下、最高裁四・二判決と略記する。)および全司法仙台事件判決(刑集二三巻五号六八五頁)において、これら公務員に対するあおり行為等処罰の罰則規定を合憲とするためには、その罰則につきいわゆる限定解釈をすることが必要であると判断されていた時期があることについては周知のとおりである。すなわち、最高裁四・二都教組事件判決は、地公法六一条四号の合憲性を判断するにあたり、公務員も憲法二八条にいう勤労者にほかならない以上、同条に定める労働基本権の保障を受ける、ただその職務の公共性に対応する制約を内在的に内包するとしたうえ、具体的な制約については、前記全逓中郵事件判決が、郵便法違反に関してであるが、(イ)制限は合理性の認められる必要最少限度にとどめられるべきこと、(ロ)その職務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるものについて、これを避けるため必要やむを得ない場合に限られるべきこと、(ハ)制限違反に伴う不利益な法律効果は必要な限度をこえないこと、(ニ)制限に見合う代償措置が講ぜられねばならないこと等の諸点を掲げていた部分を引用し、右の観点からみて、地公法六一条四号が「文字どおりに、すべての地方公務員の一切の争議行為を禁止し、これらの争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、あおる等の行為をすべて処罰する趣旨と解すべきものとすれば(中略)いずれも違憲の疑を免れないであろう。」から、違憲の疑を除去するためには合理的な限定解釈が必要であるとし、この場合地公法が地方公務員の争議行為そのものを処罰の対象としないで、もつぱらあおり行為等のみを処罰の対象としている点からみて、第一に地公法六一条四号があおり、そそのかし等の対象としている「争議行為」とは同法三七条一項に違反するものが総てそれに該当するのではなく、争議行為のうち、その違法性の強いものをいい、そのような争議行為をあおる等した場合にのみ、そのあおり行為等に刑事罰をもつて臨む違法性を認めようとするものであること、第二にあおり行為等のなかでも、争議行為に通常随伴して行なわれる行為の如きは処罰対象に含まれないことを判示し、刑事処罰の範囲に対してこのようないわゆる二重のしぼりをかけることによつて、具体的には組合幹部らが地公法三七条一項違反である一せい休暇闘争の指令の配布または趣旨伝達をした行為につき、民事上の責任追及はともかくとして、刑事罰をもつてのぞむ違法性を欠くものとの判断をしたのである。この最高裁四・二都教組事件において示された判断は、前記全司法仙台事件判決においても共通して示されているのであるが、かかる判断は、これに先立つてなされた前記最高裁大法廷の全逓中郵事件判決と基本的には同じ労働基本権重視の基盤に立つものであり、共に大法廷判決として実務上大きな指標とされる意味をもつていたのであるから、この時期には、これに続く将来の最高裁判例が大勢としては、右の判断内容に近い線で安定するかに見えたほどでもあつた。そして、本件弁護人らの意見は基本的には右の最高裁判例中で多数を占めていた前記のような意見に基礎をおくものであるだけに、それ自体十分の理由と説得力をそなえた一つの解釈として成り立ちうるものであることは、むしろ当然のことと言える。

2 しかし、そのような判例意見は、その後、直接には最高裁大法廷昭和四八年四月二五日全農林事件判決(刑集二七巻四号五四七頁。以下最高裁四・二五判決と略記する。)、同五一年五月二一日岩教組事件判決(刑集三〇巻五号一一七八頁。以下、最高裁五・二一判決と略記する。)等において、国家公務員、地方公務員の双方につき、前記罰則を限定解釈なしに全面的に合憲とする判断がなされたことによつて変更された。

右両判決のうち本件と同じ地方公務員法違反を内容としているのは最高裁五・二一岩教組事件判決であるが、同判決は国公法違反に関する最高裁四・二五判決を先例としながら、地方公務員についての争議権禁止の規定も国家公務員の場合とほぼ同じ理由で合憲であるとし、国家公務員と同様に、(イ)地方公務員も地方公共団体の住民全体の奉仕者として、実質的にはこれに対して労務提供義務を負うという地位の特殊性を有し、(ロ)かつその労務の内容は直接公共の利益のための活動の一環をなすという公共的性質を有し、(ハ)地方公務員の勤務条件は、法律および地方公共団体の議会の制定する条例によつて定められ、またその給与が税収等の財源によつてまかなわれるところから、専ら当該地方公共団体における政治的、経済的、社会的その他諸般の合理的な配慮によつて決定されるべきものであつて、私企業の労働者のように団体交渉による労働条件の決定という方式が当然には妥当せず、(ニ)この制約に対する代償として、中立的な第三者的立場から、その勤務条件に関する利益を保障するための機構として曲りなりにも人事委員会等を有していること等を理由として、地公法三七条一項の争議行為禁止を限定なしに合憲とし、そのような争議行為に対するあおり行為等に対する刑事罰が規定されているのは、あおり等の行為が争議行為の原動力をなし、違法な争議行為の中核的地位を占めるもので、法が(単なる争議行為よりも)社会的に責任が重いと評価したためであつて十分合理性があるとしたうえで、「したがつて、地公法六一条四号の規定の解釈につき、争議行為に違法性の強いものと弱いものとを区別して、前者のみが同条同号にいう争議行為にあたるものとし、更にまた、右争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、又はあおる等の行為についても、いわゆる争議行為に通常随伴する行為は単なる争議参加行為と同じく可罰性を有しないものとして右規定の適用外に置かれるべきであると解しなければならない理由はなく、このような解釈を是認することはできない」として、都教組事件についての最高裁四・二判決の判断を明確に変更すべきものと判示し、具体的には、組合幹部のした学力調査の実施を不能にすべきこと等を内容とする指令・指示の発出、伝達行為等に刑事罰をもつて臨むべきものとし、原審がこれを地公法六一条四号の適用外としたのをあえて破棄し、有罪としたのである。

そして、これらの判決は、同時に、あおり行為等の構成要件としての概念が不明確であるから憲法三一条に違反するとの主張に対し、ここに「あおり」とは違法な争議行為を実行させる目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を生じさせるような、またはすでに生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与えること、また「企て」とは、右のごとき違法行為の遂行を計画準備することであつて、違法行為発生の危険性が具体的に生じたと認めうる状態に達したものをいうと解するのが相当であつて、これによれば構成要件の内容が漠然としているとはいえないと判示し(全農林事件判決)、また、争議行為の実行が不処罰であるのにその前段階的行為であるあおり行為等のみを処罰するのは不合理な処罰であり、やはり憲法三一条に違反するとの主張に対しても、前段階的行為であるあおり行為等のみを独立犯として処罰することは、前述のとおり、これらの行為が、違法行為に原因を与える行為として単なる争議への参加にくらべ、社会的責任が重いからであつて不合理ではない旨、刑事罰適用の合理性を強調する判示をして(全農林事件判決および岩教組事件判決)違憲の主張をことごとくしりぞけたのである。

以上両判決の骨子をあえて引用・比較したところによれば、かつての最高裁四・二判決は、その後の同五・二一判決によつて、意識的に、明確に変更され、そのことは、両者の判断内容の対照からだけでなく、判文上の明示的記載からも全く明白であるし、また地公法六一条四号を合憲とする変更後の多数意見の判旨ないし判断内容自体も、曖眛な解釈の余地を比較的残さないものであることが明らかであるといえる。しかも、その後になされた最高裁大法廷昭和五二年五月四日名古屋中郵事件判決(刑集三一巻三号一八二頁)は、右の考え方をさらにおしすすめ明確にしたと受けとられる判断をすることによつて、最高裁四・二判決等が前提としていた全逓中郵事件判決の判旨をも変更したが、こうした判例変更の経過と判断内容の変遷を順序を追つて詳細に検討し、最高裁四・二都教組事件判決における多数意見のような解釈がその都度順次影をひそめていつた経過などを具体的に跡づけてみると、公務員の争議行為禁止規定や違法な争議行為のあおり行為等に対する刑事罰規定を原則的に合憲とする最高裁の判例は、現時点においては、疑問の余地なく確立するに至つていると理解するほかはない。

3 ところで、あおり行為等に対する刑事罰規定の合憲・違憲問題のうち、少なくとも実務上の処理問題に関する限り、結着をつけたとも見られる最高裁の右判例に対し、なお、世上、各方面に種々の異論があることは当裁判所も重々承知しているし、また最高裁四・二都教組事件判決以来の判例変更の経緯からして、それらの批判にもそれなりの理由なしとしないものがあることも、先に述べた通り、ある面からは当然といえるであろう。しかしながら、審級制をとる訴訟制度のもとにおいては、最高裁判所の判例がもつべき判例統一の機能やこれによつて法的安定をはかるべき必要性を軽視することはできない。とくに、最高裁大法廷による判断、しかもその度重なる同旨の判断内容は、実務上最も尊重され、下級審に対し、強い事実上の拘束力を認められなければならないと考えられる。このことは審級制度から必然的に導かれる要請であつて、個々の判例の内容が検察官や被告人のいずれにとつて有利であるか不利であるかといつた事柄によつてその結論が直接左右されるべき性質のものではない。たとえば、かつて最高裁四・二都教組事件判決等において被告人らに今より有利とみられる判断がなされた時期があつたが、この場合にも、その判断内容が右のような意味において尊重されねばならないことには何らの変りはなかつた。そして、被告人槇枝が、当時、右判旨に反する公訴提起につき、公訴取消等の措置を受けたと述べているのも、そのような判例尊重の態度を検察官がとつたことによるものと考えられよう。右のような場合、かりに検察官が右の判例を不当として納得せず、特別の根拠もなしにその判例変更を求めるとして判旨に反する公訴提起を維持したとしたら、その相手方とされる被告人やその弁護人らは、そのような検察官の姿勢に対して、判例尊重を強く求めて批難することとなるであろうし、また、これを聞く者としても、その批難に理由があると感じるであろう。そうだとするならば、その判例が被告人らにとつて不利なものであるときだけは別であるとか、右のように尊重されなくてもよいなどという議論は到底成り立ち難いというべきであろう。もとより、このように言つても、被告人は公訴を提起される立場にあり、また有罪とされた場合には不利益を直接受ける立場にあるから、検察官の立場と全て同じとまで言うものではない。しかし、訴訟における判断過程において、最高裁の累積された判例が実務上最大の尊重を受け、下級審に対して強い事実上の力を持つべきことだけは、両者に共通するものとして原則的に承認してかからなければならないのである。

右に述べたようなわけで、下級審が右のような争点につき判断をするにあたつては、最高裁判例の趣旨に明らかに不合理な点があるとか、その判例によつて立つ基礎事情に、その後大きな変動が生じ、あらたな事情のもとにおいては判旨にそのまま従うことを正当と考えることのできない確かな根拠があつて、そのため判例の変更を求めるしかない特別・十分な理由があるとか、あるいは具体的事例につき特別の事情が認められ、これに対して判例上の一般的解釈をそのまま適用することが著るしく不当な結果をもたらすなどの特別な個別的事情が認められる場合ででもない限り、右の最高裁判例の判断を尊重し、これに従うべきものと考える。そして、上述のような例外的事情の存否についての検討が十分でなく、あるいは、上級審の事後審査に耐え得るかどうか確かな見通しを欠いたままの判断をすることは、一見するとはなばなしい議論のように見えることがあつても、審級制下の第一審の判断としては、結局は真に責任ある裁判とならないと思われる。

そこで、以下においては、右のような観点から、前記最高裁判所の判例に、下級審の立場上従うことのできない格別の理由が存するか否か、とくに、判例の判断をそのまま本件に適用することを不適当とする特別の個別的事情が認められるかどうか等の点を順次検討することとする。

二  右判例を批判する弁護人の意見について

右判例変更後の最高裁判決を批判する弁護人らの意見は膨大・多岐にわたるが、その論点の大部分は、判例変遷の過程において度々論じられてきた問題である。そして、前記のとおり右最高裁の判断を実務上とくに尊重すべきものと考える以上、その判例形成の過程のなかですでに度々検討済の点をここにあらためて採りあげることの意味は薄い。しかし、事柄の重要性と、前記のような観点からの検討の必要性に鑑み、その主な点について当裁判所の判断の概要をここに述べておくのが適当であろう。

1 職務の公共性を理由とする争議権の制限について

弁護人らは、公務員にも労働基本権が保障されるものである以上、かりに職務の公共性という理由でこれが制限を受けることがやむを得ないとしても、その制限は、全逓中郵事件における最高裁判決が言うように、その権利の内在的制約によるものであり、その職務または業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるものについて、必要やむを得ない場合に限られるべきであり、具体的には、争議権の禁止は、その行使によつて他者の生存権、とりわけ、国民の生命・健康・安全およびこれを維持する上で必要不可欠な財産に重大な障害を及ぼすおそれがある場合に限られるべきである、と主張している。

思うに公務員も自己の労務を提供して生活の資を得ている点では私企業の勤労者と実質的に変りがないという経済生活の実態に着目すれば、国家公務員も地方公務員も憲法二八条による労働基本権の保障を受けるものと解しなければならないし、また、労働基本権がそのような立場にある者の経済的地位の向上を目的にしている権利であるという根本精神を考えるならば、これに対して法的制限を加えるときは、その制限は合理性の認められる必要最少限度のものでなければならないということも、その「必要最少限度」とは具体的にどの程度の範囲を指すかの点をしばらく別にすれば、一般的立論としては首肯できるところである。その場合、公務員の労働基本権に対しそのような制限を加えることを止むを得ないものとする理由は単一ではなく、いくつかの理由が競合した複合的構造と思われるが、それらのなかで、まずあげられるのは、たとえば地方公務員については、それが地方公共団体の住民全体の奉仕者として、実質的にはこれに対して労務提供義務を負うという特殊な地位を有すること、さらに、その労務の内容が地域住民全体の社会生活上の利益と深くつながつた公共性を有し、そのため地方公務員が争議行為に及ぶことは、そのような職務内容の公共性と相容れず、また争議行為のために公務に停廃を生じることは、地域住民全体ないし国民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすか、又はそのおそれを生じさせるという点である。すなわち、地域住民(あるいは納税者と言つてもよい。)が、一定範囲の職務を公務として、所要の財源を負担してもなおこれを公務員によつて遂行する制度を維持しているそもそもの理由は、根元的には、これらの職務が地域住民ないし国民全体の共同生活上の利益に対してもつ影響の大きさのゆえに、その職務が絶え間なく、しかも常に円滑に遂行される状態を安定的に確保しておきたいとの要請があるからにほかならないと考えられる。もとより、公務のもつ公共性といつても、その強弱はさまざまではある。たとえば、地方公共団体における政策決定に関りあう部門のように、職務内容自体の性質上公共性が極めて強く、民間移行が考えられないものから、小・中学校の教育部門のように、官・民二本建となつていて、公務員の行なつているのと同様の職務を外形上民営としても行なつてはいるが、当該地域社会の必要とする最低限度のものだけは、その職務の性質上、公務として確保し、確実・永続的に行なう体制を前提としたうえで、それ以上のものについて民間で私的に行なわれることを予定しているもの、さらには清掃やゴミ処理のように、その職務の性質上は、円滑な処理さえ約束されれば民間に委ねて差支えないが、民営でそのような処理をはかることに不安がもたれ、しかもその停廃による混乱が社会生活上放置できないために一定範囲の必要をまかなうに足りるものだけ公務として残されているもの等々個別的にみれば、職務によつて、現に公務とされている理由、職務の本来かね備えている公共性の程度はさまざまである。他方、身のまわりの生活環境を振り返つてみると、ガス、電気、私鉄などの如く、民営とされているもののなかにも地域住民又は国民全体の共同生活上の利益に深い影響をもつているもの、あるいは、公共性が強く特殊法人とされていながら争議権を認められているもの(日本航空株式会社、国際電信電話株式会社、日本放送協会など)などがあつて、これらの企業が遂行している職務内容の公共性と地方公務員の遂行している職務の公共性とを個々的に対比してみるとき、現に公務とされているものの方が常に公共性が高いと言い切れない部門があることは否定できない実情にあるといえる。したがつて、争議行為の許否決定について、職務の公共性という観点を唯一の尺度として判断してゆくものであると仮定するならば、現に民営の職務とされているもののなかにも公共性が強いことを理由として争議行為禁止の措置を考慮しなければならないものがでてきたり、逆に、現に公務とされてはいるが、公共性が薄くその禁止をするまでもないというものが出て来てもおかしくはない筈である。しかし、争議行為禁止の理由は、先に述べたとおり単一ではなく、複合的な理由を総合判断したうえに成り立つていると理解されるのであり、つぎにのべる給与等の法定主義等も前提となつているのであつて、両者を切りはなして考えることはできない。職務内容の公共性がいかに強いといつても、現に民営企業とされているものに対して、争議行為禁止の措置をとるということは、少なくとも立法政策上別個の考慮を必要とする筈であるし、これを公務としたうえで禁止を考えるという場合にも、職務内容の検討だけでなく、別に給与財源の見通しなどを配慮しなければならないことは自明であろう。また、逆に一見公共性が薄いと見られる公務についても

、果してそう言えるかは職務の部分部分を切り難して判断するのではなく、他の職務との相互関連性や補完性をも検討したうえで判断しなければならないであろうし、これを公務から外し民営とした場合、民間にその職務を遂行する需要がある職種内容であるかどうか、企業として永続的に成り立つてゆくか等のあらたな問題をも考慮しなければならないであろう。要するに、現行法は、そのような諸点の総合判断のうえに立つて、税収財源によつて賄うことのできそうな一定範囲の職種を公務にとりこみ、これに従事する者の給与等を法定して保障する公務員制度をとつているのであつて、現に公務とされているもののなかに、公共性の強・弱の差は存するにしても、基本的には、なお公共性を失つてはいないとの判断が前提になつているもの、すなわち、それが理由となつて公務から外せないまま維持されていると考えられるのである。

そして、これら公務のなかでも、職務の内容如何によつて、職務自体のもつ強い公共性のゆえにこれが主たる理由となつて労働基本権を制限することもやむを得ないと見られる職務もあれば、職務内容の公共性という観点からはそれほどでないが、給与法定主義の現行制度の制約と相まつて制限されているという職務もあると考えられるのである。

ところで、弁護人は、公務員の労働基本権制限の理由が右のような職務の公共的性質という点にあるとすれば、当然の結果として、公務とされている職務であつても右のような性質を欠くか、又は希薄な職務に従事する者らに対しては、労働基本権に制限を加える理由を欠くし、制限が許される場合にもその限度は「国民の生存権、とりわけ、国民の生命、健康、安全およびこれを維持する上で必要不可欠な財産に重大な障害を及ぼすおそれがある場合に限られる。」とし、教職員の負担する教育という職務内容はこれに該らないので、これら教職員に対し、争議行為の禁止をすることは許されないという。しかし、以上で職務内容の公共性として述べてきたのは、最低限度の衣・食・住といういわば裸の生存権のみを指し、子弟に義務教育を受けさせる社会全体の利益というようなものは含まないというように狭く解釈すべきものではない。すでに現在の社会においては、地域住民ないし国民全体にとつて、その日その日の裸の生存権的法益だけでなく、その時代の文化レベルに合致した最低限度の生活を営む利益も基本的な生存権の一部とみられるのであり、本件の場合、その子弟が正常で円滑な義務教育を受けられる状態にあるかどうかもまさに基本的で重大な生活上の利益であると考えざるを得ないのである。この場合、義務教育に僅か一日程度の短期間の空白を生じても、年度計画内で遅れをとり戻せるから、公共性が薄いとか、制限をすることを必要、不可欠とする理由に欠けるというような発想も適当ではない。義務教育(公教育)というものが、現代社会で有している職務の重大性、公共性は、教育の権利、義務として憲法二六条がとくに規定している点にも明確にあらわれているというべきであつて、教職員らの負担するそのような職務が、いわば争議行為によつて中断してもしなくても大差のないような重要性、公共性の薄い職務であるなどとは到底考えることができない。

以上のように考えてくると、職務の公共性を理由の一として公務員の労働基本権の制限をやむを得ないとする考え方には十分理由があり、また、これを教職員についてみても何ら不合理な点は存しないと考えられる。

2 いわゆる勤務条件法定主義ないし財政民主主義の原則を理由とする制限について

弁護人らは、前記最高裁大法廷四・二五判決をうけて、同五・二一判決が、地方公務員の労働基本権制限の理由として、これら地方公務員の給与等の勤務条件が法律ないし議会の条例等で定められることになつているという勤務条件法定主義、および給与の財源は国民の納める税収であるからその支出は議会の民主的手続によつて決定されるべきだという財政民主主義を掲げている点に対し、それらの原則は最終的に公務員の争議権否定の理由となるものではないと主張し、その理由として、これらの点が議会において決定されるべきものであることは否定しないが、それに先立ち、その審議の対象とされるべき原案を行政当局において作成・検討・決定する手続の段階において、その内容をめぐつて労働者である公務員と使用者である行政当局との間で団体交渉を行ない、あるいは一定の合意を得て協約締結をすることは理論上可能な筈であり、ただその場合に議会の議決権との調整を図るため、右の合意はこれらが議会等の議決を拘束するものではないことを明らかにした制限規定を設けておけば足りる筈であると述べている。しかし、

(一) 地方公務員の職務は、前述のとおり、地方公共団体の住民全体の利益のために行なわれるものであつて利潤目的のものではなく、その円滑で安定的な職務の遂行を確保することの重要性のゆえに、これらの職務にたずさわる者の勤務条件は、民意に基づき、議会の制定する法律や条例等によつて定められ、またその給与は地方公共団体の税収等を財源としてまかなわれることとなる関係上、これまた議会の論議・議決を通じ、当該地方公共団体における政治的、財政的、社会的その他諸般の合理的な配慮によつて決定されるべきものとされている。右の関係を私企業の場合と対比してみると、私企業においては、利潤追及が目的とされている結果、生じた利潤を目当てとして、これに寄与した労働者側がその利潤の分配を要求することも当然許され、団体を結成して使用者とそのための団体交渉をし、ストライキを背景として賃金その他の労働条件を集団的に決定することも自由に行なうことができるとされる反面、利潤を生じなかつたときにはこれに相応する賃金、労働条件の低下、はては倒産・失業という危険を常に内包するという立場にあるのに対し、公務員においては、その給与が税収を財源としているために、右のような利潤の分配要求というものはあり得ないかわりに倒産・失業ということもなく、職務に対する円滑・安定性の要請に対応して給与・勤務条件など待遇の安定化が法定、保障されているという関係にある。したがつて、公務員の場合には、私企業の労働者のような団体交渉による賃金、労働条件の決定という方式が当然には妥当せず、争議権も、団体交渉の裏付けとしての本来の機能を発揮する余地に乏しいことは否定できない。前記最高裁判例が、同じ労働者とは言いながら、私企業の労働者と労働条件の法定されている公務員との間に、右のような大きな相違があることを指摘し、公務員の労働基本権を私企業労働者と同じに扱うことができない所以を説示している点には、納税者たる国民の立場からみても、矢張り相当の理由が備つているところと考えざるを得ない。

(二) 右のとおり、地方公務員の給与その他の勤務条件は、法律及び地方公共団体の議会の制定する条例によつて、民意に基づき、議会の民主的な手続に従つて決定されるべきものとされていることからすると、議会が右の点に関して自由に討議し、民意を反映した決定をしうる状態を実質的に保全しておくことが必要であつて、外部からの圧力によりこれが妨げられることがあつてはならない。このことは、行政当局側あるいは亦公務員労働者側のいずれの側からの牽制・圧力に対しても同様にあてはまることであるが、いまこれを、公務員労働者側による争議行為との関連において考えるのに、公務員が、争議行為等の実力行使を背景として自己に有利な議会の議決等を求めようとすることは、ストにより停廃させようとしている職務の内容が、一般に、前述の意味において、公共性の強いものであつて地域住民の生活に影響するところが大きいだけに、議会に対する大きな圧力となり、議会での自由な討議・決定の過程を妨げるおそれを生じさせ、民意に従つた議決手続の趣旨にはそぐわない。とくに、この場合、公務員に争議権を認めるということは、前述のとおり、公務員にとつてその勤務条件が法定・保障されていて、法定の手続によらない切下げということがないという安定性の保障された経済的地位のうえに、さらに倒産・失業の心配もなく、争議権を専らより一層有利な給与その他の勤務条件獲得の方向にのみ行使することができるという特別の立場を認めることに外ならず、私企業労働者の経営者に対する争議権以上の強い圧力となりうることも考慮しておかねばならないのである。

右のような理由づけに対しては、弁護人らから、そうではなく、右の交渉の実態は、行政当局が議会に提出する原案を自ら作成・検討・決定する段階において、その内容に労働者側の要求を反映させようとするための労働者側と使用者である行政当局との間の交渉に外ならず、議会の民主的手続による自由な審議ないし議決手続をゆがめるおそれを生じさせるものではないとの反論がなされている。勤務条件のなかには、法律や条例により行政当局が議会から裁量判断を委ねられているとみられる事項もあり、それらの中には、行政当局と公務員労働者間の交渉による決定方式に委ねうるものもないではないであろう。しかし、これを給与その他の、法律又は条例等によつて法定されている基本的勤務条件についての交渉という点にしぼつて考えてみるのに、交渉の相手方が議会であるか、議会に原案を提出する行政当局であるかによつてその間に観念的な違いがあるといえばいえなくはないとしても、公務員の争議行為を背景とした交渉行為の実態においては、そのような相互に切り離された異質の交渉行為が別々に存するというわけではない。行政当局による原案の確定と議会における最終的な議決内容如何とは、観念的には別個のように見えても、実質上は相互に切り離しては扱えない一体のものとみなければならない側面が強い。すなわち、給与その他の基本的勤務条件に関する要求事項は、通常行政当局の原案に盛りこまれて議会に提出され、ついで可決成立してはじめて現実のものとなるのであるから、公務員労働者にとつては、双方が共に実現されてはじめて一個の経済的利益につながり、はじめて当初の目的を達するに至るのである。したがつて、たとえば、その要求事項が行政当局の原案に盛りこまれさえすれば目的を達し、議会審議の結果はどうなろうともやむを得ないなどというものではありえない。原案どおりの有利な審議・議決に不安がもたれる限り、労働者側としては、議会における原案可決へ向けて交渉手段を強化する動きとなることはおよそ不可避であろうし、そのゆきつく先は、やはり議会における自由な審議手続をゆがめるおそれに密接につながつていると見なければならないのである。また、原案作成段階における行政当局に対する労働者側の交渉行為は、直接には要求事項を原案内容に盛り込むための交渉であろうけれども、他面では、これを議会審議を通じて可決成立にもちこむための議会に対する交渉という意味合いを不可分的に有していることを否定することもできないと思われるのである。原案作成手続と議会での議決手続とのこのような一体性は、労働者側にとつて右のように一体と受けとめられているだけでなく、議会や行政当局にとつても、同じであると思われる。たとえば、原案内容の確定をめぐる行政当局と労働者側との交渉に関し、かりに労働者側に争議権を認めることとした場合には、行政当局としては、本来公務員労働者をも含めた住民全体の利害を独自の立場で総合調整して決すべき責任ある事項についても、争議行為が国民生活にもたらす混乱・悪影響を回避しようとするあまり、労働者側の同意を得られる範囲内での原案提出権の行使で満足するほかない場合を生じるであろうが、このような不十分な原案提出権の行使という事態は、議会の側からみれば、審議権の空疎化につながるものであつて実質的には十全な審議権の阻害現象を生じかねない。また、行政当局が、原案作成にあたり、争議行為の圧力を制約と感じるという事態のもとにおいては、これに引き続く議会審議にとつても同様の制約として感じとられないわけはなく、そのため、議会と行政当局との間に密接な関係が存する議会制度の現状のもとにおいては、行政当局の原案をめぐる交渉過程には、同時に、議会側の意向も実際上投影され、これが実質的には行政当局を窓口としての労働者側と議会多数派との間の、形を変えた交渉の役割りをはたしていることとさして隔りがない内容のものとなることもよく知られているとおりであろう。以上のようにみてくると、争議行為を背景とした交渉行為について、議会審議に圧力を及ぼすものであるか、行政当局の原案作成に対してのみ影響をもつものであるかを截然と区別し、後者の場合はいわゆる勤務条件の民主的決定手続を害しないなどということは、理論的には一見可能なようにみえても、実際上は区別不能であつて適用の余地がないものと考えざるを得ない。

こうしてみると、給与その他の法定されている勤務条件の改訂を求める交渉手段として、公務員が争議行為に及ぶことは、そのほこ先を議会での審議手続に向ける場合はもとより、行政当局の原案確定に向けるという場合であつても、議会の民主的かつ自由であるべき審議手続に対して、直接又は間接に圧力を加えてゆがめるおそれが一般的にはあるものと考えられ、許されないとの判断を受けることもやむを得ないと考えられる。もとより、公務員は、給与等を法定・保障されている状態においても、なお、憲法二八条にいう勤労者として使用者たる行政当局に対して労働基本権の保障を受けることに変りはないのであるから、その経済的地位向上のため、右権利の行使が原則的には認められなければならない。しかし、議会での民主的な手続による決定という制度以外に、より良いというか、あるいはより弊害の少ない現実的方策が見当らないとすれば、この手続を維持するのに必要な限度で公務員の労働基本権に制限を加えることも、その制限によつてもたらされる不利益を補うため、つぎに述べる代償的措置がもうけられ、それが十分にその機能を発揮することが期待できると判断される限り、合理的と考えられる。具体的には、地公法が、給与等の勤務条件につき、当局と労働者間の直接交渉決定方式をとらず、両者の間に中立的で公平な第三者機関をもうけ、これに公務員の勤務条件に関する利益の保障を行なわせることとして必要な権限を与える方式をとり、これを直接交渉方式に代替しうるものとして、議会での自由な審議手続を確保しようとしたことは、基本的には間違っていない思考方法であるといえるように思われる。そのような意味において、この点も亦、公務員の争議権を制限する理由として納得できる根拠をもつていると考えられる。

3 代償措置について

つぎに、弁護人らは、前記最高裁五・二一判決が、地方公務員の労働基本権につき、これが住民全体の共同利益のため制約を受けることがやむを得ない場合にも、その間に均衡を保つため代償措置が講じられなければならないとしながら、その具体的な内容としては、地方公務員の身分、任免、服務、給与その他勤務条件の法律による保障(たとえば、地公法二四条ないし二六条)および国家公務員の場合の人事院制度に相応するものとして、人事委員会または公平委員会制度が設けられていることをあげ、これを代償措置となりうるものと認定、判示している点を批判し、そのように批判する主たる理由として、判決中における右の判示は、代償措置さえ設ければ公務員の労働基本権を安易に制約することができるとの考えに著しく傾斜しすぎていること、また、代償措置となりうるためには右の機関が完全に公平な第三者的機関の実質を保ち、かつその機関の調停・仲裁手続に労働者も当事者として参加することができ、裁定結果が使用者、労働者の双方当事者に対して拘束力を有する等々の内容をそなえたものでなければならないのに、人事委員会、公平委員会等の地方公務員についての制度はこれらの実質を欠いており、代償措置として不十分であると主張している。そして、この点はドライヤー報告をはじめとし、その後のいわゆる一五一号「公務条約」に至るI・L・O関係諸機関の勧告、意見等にあらわれた思潮のなかでも、実際上最も関心をもたれ、また批判的意見が述べられている点の一つであるように考えられる。そこで考えるのに、

(一) 公務員に対しても原則として憲法の定める労働基本権の保障が及ぶと考える以上、代償措置を講じさえすれば、安易にその労働基本権を制約することができるというものでないことは明らかである。前記最高裁判決の全体としての趣旨もこれと異なるものではなく、公務員の争議行為が地域住民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすことその他の上述した理由で制限を受けることをやむを得ないこととしたうえで、その場合の代償措置の要否、内容に言及しているものと解される。たゞ、その際、代償措置の必要性が強調されているようにみえるのは、一方で労働基本権に対する制限の可否、限度についてはこれまでいろいろな機会に論じられたことが多く、この上更に詳論する必要性が薄いのに反し、代償措置をめぐる議論やその内容の詳細をめぐってはそれほど明らかになつていたとも思われず、また代償措置制度の実際的な運用に関しても従来やはり問題がなくはなかつたとの認識が、判決中でこの点を強調するかたちになつてあらわれているのではないかと、当裁判所は考える。

(二) つぎに、争議行為禁止に見合う代償措置の一つとして、地公法は、人事委員会または公平委員会の設置を定め(同法七条)、これに「職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関する措置の要求を審査し、判定し、及び必要な措置を執ること」その他の勤務条件保障に関する権限を条文上付与している(人事委員会については、さらに地公法八条一項二号の権限参照。)。しかし、この制度は、現実には、その組織構成、運用手続、付与されている権限の強弱等の点で種々の制約を受けており、そのため、労働者側が労働基本権を制限されたことに見合う代償措置と考えるに足りないとの不信感を懐くのも尤もだと感じられる点が、現行法制上、あることは否定できないというべきであろう。そのことは、国家公務員についての人事院勧告の完全実施に至る経過を例にとつてみれば明らかであろう。すなわち、従前、その勧告内容は人事院が労働者側の関与なしに調査した資料をもとにして算定されてきたものであり、労働者側の不満の一つもここに存したわけであつたが、そのような基盤から生れる勧告であつたのに、なお拘束力をもたないこととされている結果、人事院から勧告された実施時期どおりの実施が行なわれるに至るまでにも約一〇年の期間を要し、同四五年になつて初めて勧告どおり五月実施が達成されたというのが実情であつて、その間は勧告内容をいわば実施時期の点で不完全にしか履行せず、公務員に対しこれに相当する不利益を負わせ続けて来たと言われてもやむを得ない状態が続き、このことは、国家公務員だけでなく、地方公務員に対しても同様であつたからである。右にとりあげた人事院勧告の完全実施問題は、事柄の本来的性質上は、当局や議会が実施するか否かを全く自由に政策的に決定して差支えないといつた性質のものではなく、公務員の争議権を禁止し、禁止された状態での公務の遂行状態が確保されている以上は、これに対する代償として、財政的事情による制約を受けることはあつても、完全実施し、公務員の労働基本権の制約に対する穴うめを図らなければならない義務に近い負担を負つている筈の事柄であつたと言えるのである。これを逆に言えば、勧告の完全実施を行なうことのできる見込みが全くないのに労働基本権だけは制限するということは憲法二八条に違反する疑いが強いのであつて、かりに、右のように完全実施の見込みが当初から存しないというのであれば、そのかわりに労働基本権の制限をすることもできなくなり、その場合には、労働者と当局とが直接交渉する制度を覚悟してかかるほかはないという関係になる、とも言えなくはないほどの事柄なのである。本来はそのような性質をもつた勧告であるにも拘らず、これが法制上拘束力をもたされていないということのために、実施時期を遅延させられるという不利益を蒙つてきた公務員労働者が、集団的に労働基本権を行使して完全実施を求める行動に出て、その過程において、労働者側に犠牲を生じながら年ごとに実施時期遅延の解消をはかるという体験を重ねてきたことが認められ、そうした実践経験を通して、法制上争議行為禁止の代償措置とされているものが、現実にはこのような代償しかもたらさない法的措置であるのならば、労働基本権の制限に見合う十分な代償措置と考えるわけにゆかないと感じるようになるのはあながち批難できないところと考えられる。法が、労働基本権の制限を止むを得ないこととして、これに代る代償措置として人事院制度、人事委員会制度等を設けたのは、その勧告が最大限誠実に履行されて真に代償措置となりうる実質を備えるべきこと、すなわち、その完全な実施が、労働者側においてあらたな犠牲を伴う要求行動をかまえなくても、当然のこととして円滑に履行される状態が期待できることを原則的に前提としているからと考えねばならないであろう。ところが、現実にはそうでなく、争議行為を構えなければ実施時期がくり上らず、構えればくり上るというような、右の制度本来の趣旨にそぐわない政治上の運用がはかられてきたという面がなくはないように見えるのである。そして、かりにそのような運用が固定化するにおいては、公務員がその是正を求めてする争議行為は、まさに憲法上は二八条の労働基本権の行使とみられ、そのことだけを理由として不利益な処分を受ける根拠は存しないと考えられるべきところなのである。こうしてみると、法制上、代償措置として定められているところは、一般的な要件をそなえた制度に達しているとはいうものの、なお種々の制度上の欠点や改善されるべき点を含んでいることは否定できないというべきであろう。ただ、ここに十分な代償となつているかどうかは、制度的、抽象的な面だけで評価されるものではない。むしろ、実際上の運用実績とあわせて総合的に見ることが必要であつて、上述した制度上の欠点

がどの程度現実化、顕在化しているかという観点からの評価も無視できないと考えられる。そこで、このような視点からみてみるのに、本件行為が生じた昭和四九年四月より前の同四五年からは人事院勧告が完全実施され、またその後同四七年からは四月実施へと改善がはかられていて、本件発生当時を基準とする限り、右のような事情は解消していたこと、地方公務員についても、国家公務員の改善に連動し、これと同等か一部では国家公務員以上の改善実施が行なわれていることが証拠上認められる実情にあることは、代償措置の十分さを衡量するうえでやはり軽視することはできない。また、最高裁五・二一判決は、国家公務員についての人事院制度に比べ、地方公務員についての人事委員会または公平委員会制度が、職務権限上、効果的な機能を実際に発揮しうるかにつき問題がないではないとしており、法制上は事実そのとおりと考えられるが、しかし、前述したように、実際の運用実績からすれば、そのような地方公務員についての勤務条件に関する利益保護の方が全体として国家公務員より手厚くなつている実情にあるか、少なくとも、これより劣つているとは認められない実情にあると一般に考えられており、そうだとすると、地方公務員についての代償措置に法制上の問題点が多いとしても、現状では、それが顕在化して実害をもたらす危険は生じていないと言うことができるから、そのような運用事情のもとにおいては、地方公務員についての制度上の欠点をあまり大きく評価することは、今のところ、適当ではないと考えられる。

以上のように考えれば、現時点においては、最高裁判決が、地方公務員についての代償機関についても問題がないではないけれども、なお、中立的な第三者的立場から公務員の勤務条件に関する利益を保障するための機構としての基本的構造をもち、かつ、必要な職務権限を与えられて、制度上代償措置としての一般的要件を満たしていると判示している点も納得できないほどではない。諸般の事情からして、その制度の機構、手続、勧告等の内容、その実施状況等の全般にわたる運用が、今後どのように推移するかを今しばらく注目してみることとし、そのうえで、制度上の欠陥を、十分な代償措置の必要性という観点からどのように評価すべきかを決することとし、それまでの間は、右最高裁判決の判旨に従うのが適当であると考える。

4 地公法六一条四号の合憲性について

弁護人らは、最高裁五・二一岩教組事件判決が、地公法六一条四号の罰則につき、限定解釈を加えないでも合憲であると判断したことに対し、その解釈は、公務員の争議行為を民事法上違法と判断することと、民事法上違法な争議行為をあおる等する行為の刑罰的違法性の存否の判断を混同したものである、「あおり行為等」を同条によつて限定解釈なしに処罰することは、実際上は、公務員の争議行為に対し、一律・全面的な刑事処罰の結果をもたらし、憲法二八条や同一八条の精神に反する、加えて右罰条の構成要件は曖眛・不明確であるか、あるいは、労働組合による争議行為の中で、幹部の者のあおり行為等だけが特に違法性が強く刑事罰に値するとの実態が存しないのに、それらの者の行為だけを処罰しようとするもので、処罰の根拠に合理性を欠き、憲法三一条に違反する等の主張をしている。

(一) 公務員の争議行為禁止について合理的な理由があることについては前述したが、そのように考えると、違法な争議行為に対する「あおり行為等」も亦違法の評価を受けやすいことは容易に理解されるであろう。しかし、この場合、公務員が禁止されている争議行為を行なつても、ただそれだけでは処罰されないのに、これをあおるなどしたときは、そのあおり行為等の態様やその結果如何に関りなく、すべてのあおり等の行為について、刑事罰を加えるのを相当とする強度の違法性を帯びると考えるべきか否か。この点は、やはり、大きな問題を含んでおり、それ故に、最高裁判例上最も意見がわかれた点でもあつた。すなわち、最高裁四・二都教組事件判決は、公務員労働者の勤務条件等をめぐる争議行為に刑事罰を適用して介入するのはできる限り差し控え、真に止むを得ない場合に限定すべきであるとの基本的態度をとり、右罰則の解釈・適用にあたつても、あおり行為等に刑事罰が適用されるのは、あおり等の対象となる争議行為が一定範囲の違法性の強い場合に限られるものとし(右四・二判決と同日宣告の全司法仙台事件判決中では、「争議行為そのものが、職員団体本来の目的を逸脱してなされるとか、暴力その他にこれに類する不当な圧力を伴うとか、社会通念に反して不当に長期に及ぶなど国民生活に重大な支障を及ぼす」場合があげられている)、さらに、あおり行為等自体についても、「争議行為に通常随伴して行なわれる行為のごときは、処罰の対象とされるべきものではない。」として、争議行為およびあおり行為の両面からいわゆる二重の絞りをかけたのであるが、これに対して、その後になされた前記岩教組事件判決は、右のような二重の絞りをいずれも不要であるとして反対の立場をとり、その理由として、「公務員の争議行為は……業務の正常な運営を阻害する集団的かつ組織的な労務不提供等の行為として反公共性をもつ」ものとし、あおり等の行為は、「争議行為の原動力をなすもの……全体としての争議行為のなかでもそれなくしては右の争議行為が成立しえないという意味においていわば中核的地位を占めるものであり……」、あおり等の行為のもつ右のような性格に着目してこれを社会的に責任の重いものと評価し、違法な争議行為防止のために、特に処罰の必要性を認めることには十分合理性があると判示して、両者とも、公務員の争議行為を違法とする点では共通であるのに、これに関する刑事処罰の範囲をめぐつては大幅に対立しているのである。右の二つの考え方は、基本的な点で大きく相違しているが、ともに、それぞれの時期における最高裁大法廷の多数意見を制するに至つたものであるだけに、それぞれその立場に応じた相応の論拠を有していることは肯定でき、その一方の判決に依拠する本件弁護人らの主張にも、そのような意味において相応の理由があることは当然である。

しかし、右両者を対照して検討するとき、弁護人らが論拠とする最高裁四・二都教組事件判決の掲げる二つの絞りの要件には、疑問のもたれる点があるように当裁判所には感じられる。

(1) 最高裁四・二判決や弁護人らは、あおり等の行為が刑事罰の対象となるのは、あおられる側の争議行為が「違法性の強いもの」である場合に限られるべきであるという。しかし、地公法六一条四号のあおり等の罪は、あおり行為等の対象となつている争議行為が現実に実施されたか否かを問わないで成立するものとされているのであるから、あおり等の行為が完了し、したがつて、あおり等の罪の成否がすでに決定したあとにおいて、その対象とされた争議行為が強度の違法性を備えるに至つたか否かを認定し、そのことが遡つてあおり等の罪の成否に影響するというようなことは到底容認できない。さらに、行為者があおり等の行為をした当時認識していた争議行為の内容と実現された争議行為の内容との間に齟齬があつた場合の処理をめぐつても困難な問題に逢着するであろうし、その場合には、これを、行為者が主観的に認識していた争議行為を基準として決定するというのでは、あまりに曖眛にすぎるといわねばならないであろう。さらにまた、争議行為の違法性が強度であるかどうかというようなことは、犯罪の成否を決定的に分ける基準としてはあまりに不明瞭であつて、結論を耐え難いほど混乱させる原因になりかねないのであり、この耐え難い不明瞭さは、現に、判例上、一方では、そのような曖眛な解釈基準をもちこまねばならない罰則であるとして全面違憲の大きな理由とされ(大阪地裁昭和三九年三月三〇日判決、下刑集六巻三・四号三〇九頁)、他方では、そのような曖眛な基準による限定解釈をもちこむからこそかえつて憲法三一条違反ではないかという疑を生ずるのであつて、そのような限定解釈をしないで、法文を素直に読めばそのような疑は生じない筈であるとの意見を生じ、全面合憲へと解消される原因となつているのである。こうしてみると、労働基本権尊重のためにする限定解釈の一基準としてではあつても、争議行為についての強度の違法性という曖眛な要件は大きな疑問を含んでおり、直ちに同調することができない。

(2) つぎに、もう一つの要件、すなわちあおり等の行為のうちで、刑事罰に相応する違法性を有する範囲を、争議行為に通常随伴する行為を除外したその余のあおり等の行為に限定しようとすることには、たしかに傾聴に値するねらいが含まれている。すなわち、右の罰則は、憲法二八条の趣旨尊重との関係で、争議行為自体を不処罰としながら、その前段階的あおり行為等のみを処罰することとしているのであるから、あおり行為等が、不処罰とされている争議行為に通常随伴すると認められる限度内にあるときは、不処罰とされる争議行為の一環としてこれに内包されているのであり、そのような限度をはずれたあおり等の行為が右罰則の処罰対象になつていると考えることも、罰条相互の文理解釈上は可能であるし、また、争議行為の「あおり」「そそのかし」「共謀」等をすべて処罰対象としている同条の条文のたて方からすると、このようにでも解さないと、争議行為の実態からみて、処罰範囲が歯止めなく拡大し、最後には、本来不処罰とされている争議行為の単純参加者であろうとも、刑事責任を追及されかねないことになつて不都合である、という意見にも理由がありそうに思われるからである(とくに最高裁四・二五全農林事件判決における色川裁判官の反対意見参照。)。しかし、あおり等の行為の処罰範囲を、最高裁四・二判決が争議行為に通常随伴すると認められるか否かによつて区別しようとし、その結果、通常随伴する行為と認められさえすれば、争議行為全体の発議、計画、指導等を行なうあおり行為についてまでも、一律不処罰とした点には問題があつたと考えられる。すなわち、大規模な争議行為の実現をめざす組合活動のなかには、争議の全体の計画の発議、立案、戦術の策定、全体的情勢の把握とこれに基づく全体的争議行為の指導といつたような、当該の具体的な争議行為の全体的レベルにおける中核的、指導的役割を担うものと、組織の末端にあつて組織の指示・指導に従つて行動する大多数の者、さらには、これらの中間にあつて連絡・調整にあたる者等々の分担、分化が実際上は生じており、そのいずれに属するかによつて違法な争議行為に対する責任の性質・軽重に較差があるという視点が欠落しすぎていた点に弱点があつたと思われるからである。したがつて、争議行為に通常随伴するものであれば、いかなる指導的共謀、あおり等の行為であつても、同条の処罰対象に含まれないとする解釈は適当ではなく、最高裁五・二一判決がこれを変更すべきものとした趣旨は理解できるというべきである。

(3) 右のようにみてくると、地公法六一条四号により刑事処罰の対象とされる「あおり行為等」の範囲に関して、最高裁四・二判決が解釈上付した、争議行為についての強度の違法性及び争議行為への通常の随伴性という積極、消極二重の限定は、いずれも疑問とされる点があつて、その後の最高裁判例によつてとり払われたのもやむをえなかつたし、これにより、同罰則にいうあおり等の行為の範囲は、その点では、明確になつたといえる。しかし、地公法の右罰則が、あおり等の行為を処罰することとしながら、他方、争議行為ないしこれへの参加行為を不処罰としていることも規定上明白であるから、両者の間の限界的領域にあるとみられる諸行為、たとえば、争議行為の単純参加者が、自己の参加行為に関連して、同僚その他の者とどの程度の協議をすることまでが単純参加行為の枠内と認められるのか、逆に、どのような立場でどのような性質の協議その他の関与行為をすれば、右罰則にいう「共謀」とか「あおり」「そそのかし」にふれることになるのか、その一般的解釈基準の問題は、依然として未解決のまま残されている。とはいえ、まず参加者が処罰されないのは、その者が自己の勤務条件の改善等を目ざしているなど憲法上労働基本権の行使と認められる場合に限られるであろうから、たとえば、その参加者が地方公共団体との間に雇傭関係を現実に保つていない第三者であつて勤務条件の改善を求める関係になかつたり、かりにこれがあつても、そのための争議行為ではなく、純然たる政治的目的による場合であつたりするときは、右にいう単純参加行為とはみられないこととなるであろう。他方、同条も、よもや、組織末端の平組合員が、自ら争議行為に参加する意思で参加するに至るその過程のなかで、たとえば、総けつ起大会に出席してスト提案を強く支持し、同僚組合員に対し、争議行為の必要な所以を訴え、アジビラを職場その他で積極的に配布し、争議手段の討議に参加するなどした場合に、これらの行為のどこかに、同条の規定する「共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又はこれらの行為を企てた」という条文上の文言を字義どおりに解釈すれば、そのいずれかにあてはまりそうな行為があつたとしても、それらのすべての行為に機械的に罰則を適用しようとする趣旨であるとまでは考えられない。すなわち、争議行為への単純参加行為を、憲法二八条の趣旨尊重との観点からことさら不処罰とするについては、およそ争議行為という以上は、参加者が個々ばらばらに行なうものではないのであるから、参加者についてもある程度の集団的拡がりがあり、集団があればそこには参加者相互間の団体的な意思連絡もある程度自ら形成されるものであることは、目的を共通にする集団の性質上当然のことであり、そうだとすると、参加者が周囲の者に争議への同調や共同参加を求め、参加者間で団体的意思を形成するのに必要な働きかけを伴つて参加するという態様の参加行為がありうることは、立法者自身、当初から想定していた筈と考えなければならない。したがつて、右のような意味において争議行為への参加に通常随伴すると認められる程度の相互協議、教宣行為等は、全体として、争議の参加行為そのものと評価されるのであり、その範囲内においては、かりに字義どおりに言えば、「共謀し、そそのかし、若しくはあおり……」等にあたるように見える部分があつても、同条の処罰範囲には入らないと考えねばならない。いま、右以外に、右罰条によつて処罰対象とされる「あおり等の行為」と単純参加行為の枠内として不処罰とされる類似の行為との限界を一般的・抽象的に明示することは難しく、結局は、個々的な事例のつみ重ねを通じて明らかにし、これを決してゆくほかはないと思われる。実際上の問題は、右罰則制定の理由として判示されている原動力論、すなわち違法な争議行為に対する原動力または支柱になるといえるあおり等の行為とは、具体的に組合組織のレベルからみておよそどの範囲を指していると考えられるかの点であるが、これは、個々の争議行為ごとに、争議行為へ至る経過が同じでなく、いわば千差万別であると考えられるから、これまた、一律・抽象的な基準で説明することはできない。やはり、当該争議行為の規模、行為者の組合組織上の地位と争議行為に関してはたす全体的役割り、組織実態からくる指導する者と指導される者の現実的な影響関係、争議行為に至るまでの具体的経過と内部的指導行為の方式・態様その他諸般の事情を総合して、当該行為者の行為が、全体的な評価において、自ら又は他の者と共に、当該争議行為の全体又は一部の実行を統括する立場において、「共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又はこれらの行為を企てた」と認められるか、逆に統括される立場において、主として、前述したような意味において、参加行為に随伴して関与したと認められるか等の点を中心として、個別事情に応じた選別・認定をしてゆくほかはない。しかし、本件争議行為においては、各都道府県教組の連合体である日教組本部の中央執行委員長であつた被告人槇枝及び都教組の執行委員長(昭和四九年三月末までは同代行)であつた被告人増田の両名が、判示のごとく、それぞれの組合役員らと共謀して本件行為に及ぶという場合、右争議行為に関して、同罰則の適用を受ける指導者的立場の側にあつたことは極めて明白であり、少なくとも本件に関する限り、前記のような限界的領域の認定問題は直接的な重要性を有してはいないといえる。

なお、地公法六一条四号の適用範囲についての右のような限定は、最高裁五・二一判決においても当然前提とされていた筈の事項であるから、上記したところはこれと矛盾・衝突するものではない。また、そのような限定を付したうえで、右最高裁判決の判旨に従うのが適当であると考えられる。

以上のようにみてくると、地公法六一条四号の罰則が憲法二八条、一八条等に違反するものとは認められない。

(二)(1) ところで、地公法六一条四号にいう「あおり」とは、同法三七条一項前段に定める違法行為を実行させる目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を生じさせるような、または、既に生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与えることをいい(最高裁大法廷昭和三七年二月二一日判決刑集一六巻二号一〇七頁、同四・二五判決、同五・二一判決)、「あおりの企て」とは、右のごとき違法行為のあおり行為の遂行を計画・準備することであつて、違法行為発生の危険性が具体的に生じたと認めうる状態に達したものをいう(前記四・二五判決)と解釈するのが相当である。これによれば、構成要件の内容が、刑罰法規に通常必要とされる基準にてらし、不明確すぎるということはできない。弁護人らは、右の罰条では、実際問題として、地公法上不処罰とされている争議行為への単純参加者へも、いつ処罰範囲が拡張されるかわからないという。しかし、罰則適用の範囲については、前述のとおりと考えられるのであるから、その範囲をこえて争議に単に参加したにすぎない一般組合員への拡大適用のおそれが強いというほど不明確だとは、まだ認めることができない。

(2) つぎに弁護人らは、組合による闘争行為の一般的な進め方の実情に照らし、組合幹部が組織運営上の指導性を持つていることは否定しないが、それは、あくまで組合員個々人に争議行為実行の積極的な意欲があることを前提とし、それを全体的な行動に集約してゆくうえにおいてであり、そのような闘争意欲のない組合員を幹部が強引に引つぱつて引きずりこんだりしているものではないから、争議行為の実行に関し、幹部のみ責任が一層重いとすることは合理的な理由に欠け、このような前段階的行為を独立に処罰するまでの根拠はないという。しかし、どのような組織であれ、これが大型化してくると、その内部を一つの意見にとりまとめて争議行為へ導いてゆくためには、一方では、争議をめぐる全体的な情勢を把握し、争議の時期やタイミングをはかり、必要な戦術の策定やその限界の見極めをし、そして、その間、これに合わせて、組織下部の闘争態勢の強化を指示、指導する中枢部を不可欠とするとともに、他方で、組織の末端には、通常、争議意欲の積極的なものからそれほどではなく、むしろ組織の上層部の指導があるからこれについてゆくという者までを含んでいて、これら積極性のないものをも説得・鼓舞しながら組織をまとめてゆくということにならざるをえないものと認められ、とくに争議行為などに際しては、積極性のない組合員はもとより、積極性のある組合員を前提とした場合にも、これと対比して中枢部幹部のはたす役割りの大きさは否定しようもないことが明白であつて、そのような中枢部的な行為を「共謀し、そそのかし若しくはあおり……」等としてまず独立して処罰の対象にとりあげることは、それ自体としては、合理的理由を欠くこととは思われず、本件において、これが憲法三一条にふれるものと考えることはできない。

以上、縷々述べたところにより、当裁判所としては、後述するような本件事実関係をも前提としながら、現時点においては、おおむね最高裁五・二一岩教組事件判決の判断を維持すべきものと考える。

第三本件事実関係をめぐる問題

一  「あおり」と「あおりの企て」の意義

1 地公法六一条四号所定の各行為のうち、「あおり」および「あおりの企て」の一般的意義、解釈については前述した。さらに、その具体的な内容につき、前記最高裁五・二一判決は、組合幹部役員らの学力調査実施拒否および阻止等を主たる内容とする指令、指示の発出、組合員への伝達等の行為を「あおり」にあたると判示し、また、前記最高裁四・二五判決は、全農林労働組合本部から各県本部あてに特定の指令文書を発信または発送させた行為を「あおりの企て」に、また、組合幹部が約二五〇〇人の職員を前にして、職場大会への参加方を反覆説得するなどした行為を「あおり」にそれぞれあたると判示し、右構成要件の内容を具体的事例によつて補足説明している。

2 これに対して弁護人らは、「あおり」とは、もと「煽動」と同義語と解されるところ、構成要件中に「煽動」の字句が用いられていた罰則の解釈を検討してみると、「煽動」とは、相手方に対し、「中正の判断を失して」実行の決意を生ぜしめまたはすでに生じている決意を助長せしめる勢いのある刺激を与えることを指称すると理解され、ここに「中正の判断を失して」とは、主として、相手方の感情的側面に訴える要素が大きいことに特徴があると理解されてきたものであるとし、治安警察法一七条一項本文で「第二号の目的をもつて……他人を誘惑若しくは煽動することを得ず」という場合、誘惑が「主として理性に訴え自由なる意思の決定を迷失せしむる行為」であるのと対比して、「煽動」とは「感情に訴え自由なる意思の決定を迷失せしむる行為」をいうと理解されていたといい(川村貞四郎外一名共著「治安警察法論」二四三頁を引用している。)、治安維持法三条の実行煽動罪についても「不特定又は多数の者に対し中正の判断を失して実行の決意を創出せしめ……云々」と理解されていること(司法省刑事局治安維持法理由書)、破壊活動防止法四条二項は、明文上はこれとやや異なり「……人に対しその行動を実行する決意を生ぜしめ、又は既に生じている決意を助長させるような勢いある刺激を与えること」をいうとして、「中正の判断を失して」の部分を欠き、一読すると、主として感情に訴えることとのニユアンスが直接あらわれていないように見えるが、それは「勢いある刺激」という中に当然含まれていると理解されたためであることが、立法当局や立案に当つた法務省当局の記録・解説により明らかであること等をあげ、これによれば、地公法六一条四号の「あおり」についても同じである筈であり、本件で検察官が「あおり」行為として指摘しているような組合組織内の理性的討議を中心としてなされる各行為は、主として感情に訴えるとの実態を欠き、「あおり」「あおりの企て」にあたらないと主張している。

思うに、「あおり」とは、一般的にいえば、主に相手方を鼓舞激励し、その感情的心理を刺激して行動を求める傾向が強く、「そそのかし」が主に相手方の理性的心理に訴える傾向が強いのと対比してみると、両者の間に右のような点でニユアンスの違いがあることは、一応そのとおりと考えてよかろう。しかし、ここに感情面とか、理性面とかいうことも、語感からくる全体的な意味合いをあらわすために用いはするけれども、両者の限界となるとはなはだ曖眛な面もあつて、両者を截然と区別し、それを唯一の決定基準として「あおり」と「そそのかし」の内容を特定するなどということに耐えられるほどの明確さを持つているとは思われない。右の違いは、言葉をかえて言えば、「あおり」は相手方に対する強い刺激を中心としてその共鳴を求め、その力によつて直接行動へ導こうとする傾向が強く、「そそのかし」は、相手方に事柄の所以を説明し、その理解を得られたときに行動に出ることを期待できるといつても大差ないが、これとても、要するに両者の間に存する違いの一つを指摘してみせたという以上のものではない。両者は、右以外にも、たとえば、「あおり」は、通常、その相手方が不特定又は特定多数の場合を予想しているのに対し、「そそのかし」は、相手方が特定又は比較的少数の場合を予想しているという点に違いをもつているということもできる。もとより、この点も、絶対的ではなく、たとえば、相手方が特定又は少数であつても、それらの者が当該事項を直ちに他の多数の者に伝え、それにより多数人に伝えているのと変りがないような状況の下になされたときは、「あおり」と解してよいであろうが、両者を区別する一つの基準に加えることはできると考えられるのである(「そそのかし」を適用した最高裁第三小法廷昭和二九年四月二七日判決・刑集八巻四号五五五頁、同大法廷昭和四四年四月二日全司法仙台事件判決、岩教組事件第一審判決中の該当部分等の事例は、相手方がいずれも一人又は少人数の場合である。)。このようにしてみれば、地公法六一条四号の「あおり」と「そそのかし」とは、個々の具体的事例へのあてはめの場面において、いずれに該るか、判別の困難な場合を生じることはあるとしても、構成要件上は区別の可能な別個の概念と考えるのが相当であり、前記最高裁五・二一判決等が、「そそのかし」とは、同法三七条一項前段に定める違法行為を実行させる目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を新たに生じさせるに足りる慫慂行為をすること、また、「あおり」とは、右の目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を生じさせるような、又はすでに生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与えることと説明しているのも、前記のような問題点をつきつめた結果であると考えられるのであるから、個々の事例が、右にあたるか否かは、単に、主として感情に訴える方法であるか否かだけではなく、対象者の数や訴える際の雰囲気、個々人が理性的に理解するのか団体的熱気に刺激されることが多いか等々の点を総合考慮して判定するべきものと考えられる。

二  いわゆる下部組織からの「盛り上がり」と「あおり」等の該当性について

弁護人らは、被告人らが、日教組ないし都教組幹部として、組合活動全般、またその一環として行なわれた本件争議行為に関し、一般的に指導性を有していたことは否定しないとしたうえで、しかし、そのような指導性は一般組合員の意思と合致した上に成り立つていること、すなわち、本件において強力な闘争体制を組むことができたのは、一般組合員の積極的な闘争意欲の高揚によるものであり、組合幹部が組織上の地位に基づきスト実施への原動力を与え、これらの者を闘争へかりたてたためではない、とし、その面で本件における被告人ら幹部の指導行為は「あおり」等に該当しないと主張している。いわゆる下部組織からの「盛り上がり」論である。

1 本件が全一日ストを含む強力な争議行為であつたにもかかわらず、スト批准投票の結果が五〇%を超えたのが二五都道府県組合(公立小・中学校の場合)に達していること、それらの教組におけるスト突入率は、四月一一日のストについては、その実施日が春闘の一環としての交通ストと重なつていたために、正確な把握が困難な事情にあるとはいえ、全国で約一八万人、判示五都道県合計約六万人位とみられる状態にあり、また、本件審理にあらわれた関係各教組の組合員らの証言ないしその記載からみても、各地で相当多数の者が広い範囲で参加した様子が窺われてかなりの高率に達していることは明白な状態にあり、これらによれば、一般組合員らが、昭和四八年末以降のいわゆるオイル・シヨツクと称されるかつてない異常な物価騰貴によつて生活破壊の実感を懐き、さらには連日報道された生活必需品や職場における教育資材の物かくし、便乗値上げ等に対する社会的不公正感も加わつて、大幅給与引上げ等を主たる目標とする本件闘争に積極的な意欲をもやし、あるいは、他に、それほどでなくても共感し支持するものも多い状態にあつたことはおよそ弁護人らの主張するとおりと認められる。

2 しかし、一般組合員らの中に闘争意欲の強い者、あるいはこれに共感する者がいつもより多かつたとしても、それだけでは、被告人ら組合幹部が本件争議行為にむけて行なつた指導行為が「あおり」等の行為に該当することを妨げる事由となりうるものではない。「あおり」等の行為は、これに該当するような勢いのある刺激を与える行為があればそれだけで成立し、その相手方が、その行為当時、すでに積極的な闘争意欲や決意を有しているかどうかに関りがないと解されており、したがつて、たとえばそのような決意をすでに有している者あるいはそれほどではないがこれに共感する気持を有している者らを広くとりまとめ、拡大強化してゆくために勢いのある刺激を与えるという場合であつても差支えないと考えられるからである。それが「あおり」等の行為に該当するか否かは、結局は幹部の指導行為が、それ自体、組織の中で帯有している現実的な影響、その性質ないし機能等に着目して決せられるべきものであり、前記のような組織下部からの盛り上がりも右の評価にあたつての一要素として考慮されるにすぎないと考えられるのである。

3 そこで、日教組内部における本件ストの立案・計画から実施に至る一連の過程のなかで、被告人ら組合幹部の者の指導行為が現実にはたした役割りや、影響の大きさなどを検討する。

(一) およそ日教組のように、組織が全国にまたがり、組合員数も非常に多い集団になると、一口に組合員と言つても、その末端にはさまざまの考え方の者を包含し、とかく結束にゆるみや亀裂を生じ、そのとりまとめが困難になる傾向のあることは避け難いであろう。しかも、ことが地公法上禁止されている争議行為の実施にかかり、その手段が全一日ストを含むこれまでにない強力なものともなれば、現実には児童・生徒らを一日中放置する結果となることに対する教師としての心情的な抵抗感も強まり、さらには、スト後に処分問題を残すので、該当しそうな者にとつてはもとより、その周辺の者にとつても大きな問題となりそうなことが予測されて、右の傾向は尚更強くなると考えられよう。また、公務員である者の組合が、民間労働者とともに春闘に加わり統一行動をとるにあたつても、それぞれの組合固有の立場や内部事情、要求事項や経済的基盤は必ずしも同一ではなく、それにもかかわらずこれらの組合が常に統一的歩調をとつて闘わねばならないということが、総ての組合員に納得されているとは限らない面も出てくるであろう。そのようなわけで、日教組のような大規模な組合が全一日ストという強力なストライキに組織全体がまとまりを保持しつつ突入するまでの間には、組合幹部による相当に強い指導性の発揮が必要とされることは必然であるといえる。たとえば、ストライキの企画立案、要求事項の選定、戦術配置、批准投票をめぐる組織的なスト体制確立への説得活動の展開とその指導、それらの結果の集約と組織全体の状況判断、さらには、ストライキへの突入又は中止の判断、その結果もたらされる将来への有利・不利の見通しなどさまざまの問題があり、それらの点に関する幹部による的確な指導を欠いては大規模な組織による強力なストの実施は難しいであろうと考えられる。逆に言えば、組合幹部の、組合の立場からする広い見通しと、これに基づきストライキを必要だとする情況判断があつて、はじめてストの必要性が一般組合員に対しても説得力をもち、納得されて個々の組合員の積極的闘争意思をストライキへつなげることができるようになるといえるのであり、また具体的戦術についての賛同者を拡大し、大きな動きにまとめあげることが可能になると考えられるのである。このように見てくると、組合幹部による右のような指導行為は、すでに積極的な闘争意欲をもつている組合員の意思を単純にとりまとめ集約しただけのものではない。まして、実際の争議行為への過程において、右のような意識の低い組合員をも含む組織全体にそのような意欲を拡げ、強固にしてゆく必要がある事情のもとにおいては、組合員の意思を融発させ、一本に結合して、個々人の力を超えた組織の大きな力として威力を発揮しうる方向へ導いていけるか否かの決定的要因になるものと考えられるのである。

(二) これを本件についてみるのに、本件ストの企画・立案は、早くも本件スト前年の昭和四八年七月開催の日教組第四三回定期大会当時までに執行部においてなされ、その結果が議案として提案・可決され、その後各種の組織内会議での討議を経て、下部討議に付されたことが認められるところ、右大会議案中では、「七四春闘では……ゼネスト体制で闘う」とか、「春闘の重要段階においては一日ストライキを目途とする強力なストライキを組織します」とかの特徴的な点をも含めてその余の闘争項目、たたかいの進め方など全般的な本件争議計画の原型がすでにこの時点で出来あがつていたことを認めるに十分であり、しかも、この七月の時期には、昭和四八年度の人事院勧告はまだ出ておらず、したがって各県人事委員会の勧告もこれからという段階であつて、各県段階においては、翌年のことよりもまずその年度の給与引上げ確定の方が差しせまつていたという事情にあつたのであるから、そのようなことを考えると、本件全一日ストへの路線をまず用意して提示し、これに沿うよう組合員の意識を触発したのは被告人ら組合幹部においてであつたことは否定できない。

つぎに、ストライキの批准投票率、突入率をみると、各県の事情によつて一様ではないようであるけれども、本件で問題となつている北海道、岩手、東京、埼玉、広島などではいずれも高率を示しており、これらの地域はもともと組合員の積極的意思が他より高揚していた地域にあたつているとみることができるであろう。しかし、証拠によれば、日教組においては、これより先の昭和四九年二月二五・二六日開催の第四四回臨時大会決定、その後の指示第一八号等によつて、各県教組内で各レベルの幹部が中心となつて批准投票へ向けての強力なオルグ活動を実行することを指示していることが認められるところ、末端組合員らの証言記載、供述調書などによると、前記の各地域の組合内においても、右指示に従つたオルグ活動が組織的に行なわれたあとが歴然と認められるのであつて、そうである以上、前記のような批准率、突入率も、ストライキへ向けての上述のような組織的な教宣ないしオルグ活動とはかかわりのない、それ以前の一般組合員の自然な意識を全面的に反映したものと受けとることはできない。やはり、これらの教宣ないしオルグ活動によつて、ともすれば争議行為に対して消極的になりあるいは意欲を失い勝ちな多くの一般組合員の意識を覚醒させ、つなぎとめるよう各レベルの幹部を通じて指導に努め、強い争議行為を実施しうる組織の体質保持をはかつていたものと認めざるを得ない。そして、幹部によるそのような活動のなかでも、被告人両名の指導力は、その組織における立場上、最重要なものであつたとみられることは当然である。

右のようにみてくると、下部からの盛り上がりを理由として、一般的に本件が「あおり」ないし「あおりの企て」にあたらないという主張は採ることができない。

三  被告人槇枝の「あおりの企て」について

1 日教組第四四回臨時大会

昭和四九年二月二五・二六日の両日、都内千代田区所在の九段会館に日教組本部役員、県教組役員その他を集めて開催された第四四回臨時大会において、執行部提案の「七四春斗を中心とする闘争推進に関する件」が可決決定されたが、そのなかで、七四春闘において、春闘の前記三大要求(「賃金の大幅引上げ、五段階賃金粉砕」、「スト権奪還、処分阻止・撤回」、「インフレ阻止・年金・教育をはじめ国民的諸課題」)の実現を目的とし、春闘共闘の統一闘争に積極的に参加し、具体的には、さん下各県教組の組合員が四月中旬に第一波早朝二時間、第二波全一日のストライキを実現するとして、地公法三七条一項前段で違法行為とされている同盟罷業の遂行を決定したうえ、これに関して、

〈1〉 スト突入にあたつての全組合員に対するスト指令は、この場合、具体的には、ストの中止指令を発出するか否かの形式によつて伝達するとの方法ではあつたけれども、ともかく、スト突入・中止の最終判断を中央闘争委員長である被告人槇枝から発することを予定し、同人において統一ストライキとして必要な指令を発出伝達できるよう、あらかじめ、指令権を各都道府県教組委員長から同被告人に委譲しておく手続を内部的に準備したことが認められ、右は、いつでもストライキに突入できる組織内部の準備の基本的前提をなすもので、かつ右準備行為の重要な一部をなすものと認められる。

〈2〉 前記ストライキを成功させるため、二月、三月を闘争体制確立月間とし、各級機関がオルグ教宣活動を集中的に展開し、職場学習会・討論会を積極的に行ない、支部・分会の実態に応じて指導を行なつてストライキ突入体制を整備することとしたことも証拠上明らかに認められ、これは、右のようなストライキとこれへの説得慫慂活動の実施に向けて、その時期・方法等を定めたもので、「あおり」の計画・準備の一部にあたる。

2 指示第一八号

被告人槇枝ら日教組本部役員は、右臨時大会終了後、各県教組委員長に対し、大会決議と別に、スト実施体制の確立・整備について指示することとし、その旨の日教組中央闘争委員長槇枝元文名義の二月二八日付指示第一八号「七四春闘を中心とする当面の闘争推進に関する件」と題する書面をもつて各県教組委員長宛指示したことが認められるが、右の内容は前記1の〈1〉、〈2〉とほぼ同じであり、したがつてこれと同様「あおり」の計画準備の一部にあたる。

3 第五回全国戦術会議

前記第四四回臨時大会の決定に基づく批准投票実施後の同年三月一九日、教育会館内の日教組本部に、本部役員及び各県教組委員長らを集めて開催された第五回全国戦術会議において、前記ストライキを実施すべき公立小・中学校の教職員は、批准投票の結果が五〇パーセントを超えた東京、北海道、岩手、埼玉、広島等を含む二五都道府県教組さん下の教職員とすることが確認され、被告人槇枝において、「右確認をもつて指令権発動とする」旨宣言し、ストの日程については、対政府交渉力強化のため、第一波を全一日ストライキ、第二波を早朝二時間カツト(ただし、東京は半日)として、従来とは順序を前後振替える予定とするが、最終的には三月二七日開催予定の春闘共闘委員会の決定をまつてから決めるとの確認・決定をし、さらに、スト当日の行動細目について記載した「七四春闘ストライキ戦術実施要項(行動規制)について」を配布してその徹底方指示をしたことが認められる。指令権の発動をも含むこれらの事実は、被告人槇枝が、中央闘争委員長として、組合員に対し、同盟罷業実施の指令を発出・伝達するための具体的細目の計画準備をしていたものと認めるに十分である。

4 総括

以上1ないし3に認定した「あおり」行為へ向けての計画・準備行為は、前後につながり合つた一体の行為として、所期の争議行為発生の危険を具体的に生じさせたものと認められ、「あおり」の「企て」にあたるものと認めるのが相当である。

そして、これらの各行為は、それぞれの段階において、被告人槇枝を含む日教組本部役員が、各県教組役員などの大会代議員や戦術委員と協議決定して進めていつたものであり、この点をめぐるこれらの者相互間の共謀の存在も明らかである。

四  被告人増田の「あおりの企て」について

1 都教組第五七回臨時大会

同年三月八日、都内千代田区所在の共立講堂で開催された第五七回臨時大会において、執行部から前記日教組第四四回臨時大会決定及び日教組指示第一八号を受け入れて提案された「七四春闘方針に関する件」の可決の決定がなされたが、そのなかで、前記統一闘争を成功させるため統一ストライキに積極的に参加すること、春闘決戦の山場である四月中旬に第一波半日、第二波全一日のストライキを実現することを決定したうえ、職場へのオルグ活動を積極的に展開し、学習会、討論会を積極的に組織し、その他闘争体制の確立をはかることなどをも決定し、これらの説得慫慂活動にむけてその大綱を定めて準備、計画した事実が認められる。

2 指示第八二号

被告人増田ら都教組役員は、同年三月一三日、各支部長・分会長に対し、主としてスト体制確立についての指示をすることを決定し、都教組委員長代行増田孝雄名義の「春闘当面のとりくみについて」と題する書面をもつてその旨の指示をしたこと、その内容は職場会、学習会を組織し、新組合員をも含めた職場体制と確認署名によるスト体制の確立等の諸点にあり、前同様の意味で計画準備にあたるものであつて、これらの事実は被告人槇枝について上述したのと同じ理由で「あおりの企て」にあたり、またこれが被告人増田と被告人槇枝ら日教組役員、都教組本部役員らとの共謀によることも明らかである。

五  被告人両名の三・二九指令による「あおり」について

1 春闘共闘委員会が、当初の予定よりおくれて三月二九日、最高指導委員会・戦術会議を開き、四月八日から一四日までを第四次春闘共闘統一行動期間としてゼネストの決行を決定し、公務員共闘が一一日から一三日に、全一日スト及び半日ストライキを決行する方針となつたことをうけて、被告人槇枝らを含む日教組本部役員らは、三月二九日の中央執行委員会において、日教組としては四月一一日に全一日のストライキ、一三日に早朝二時間のストライキを決行することを決め、各県教組にあてて、「春闘共闘戦術会議の決定をうけ、公務員共闘は四月一一日第一波全一日スト、四月一三日第二波二時間ストを配置することを決定した。各組織は闘争体制確立に全力をあげよ。」との電報による指令を発した(以下これを三・二九指令という。)こと、都教連を介して右指令を受けた被告人増田ら都教組本部役員は、各支部に電話でこれを伝達したほか、都教組新聞一九七四年四月五日付九八二号の冒頭に同旨の記事(但し一三日の東京は半日スト)を載せたものを組合員に配布し、その趣旨をさん下組合員に広く伝達したこと、日教組本部から前記電報指令を受けた北教組、岩教組、埼教組および広教組においても、支部等の組織系列を通じて、さん下の組合員にそれぞれすみやかに、電報、電話その他適宜の方法で、その旨を伝達したことを認めることができる。

2 ところで、右のとおり、春闘共闘委員会の決定により、日教組としてのストライキ戦術行使の日時が特定したわけであつたが、そのことを、中央闘争委員会から各県に対して右のような方法で連絡したことの意味性質については、これを三月一九日の全国戦術会議における決定に従つた指令にあたるとする検察官の意見と、右は指令権を発動したものではなく、右戦術会議で指令権を発動した当時、ストライキの具体的日時が未定であつたので、日時が特定した段階でこれを補充したにすぎないとする弁護人や証人中小路清雄らの意見の間に若干の相違がある。

しかし、ここで検討を要する当面の問題の判断にあたつて重要なことは、スト日時の特定についての右のような補充的連絡行為が、本来ならばどのような法的性質の行為で足りるかという点のせんさくではない。その点はどうであれ、現実に行なわれた行為は、組合組織の末端にあつてそのような連絡を受ける立場の組合員にとつて、どのように受け止められる内容のものとしてなされたかということこそが重要なのである。そのような観点からみるとき、右の連絡電報の電文内容は、日教組としては、その機関決定により、いよいよスト日程を四月一一日全一日、四月一三日早朝二時間(東京は半日)と最終的に確定し、下部機関および組合員にスト体制の確立を求めるという強い要請の趣旨であり、この連絡を受ける者にとつては、日教組本部ないし上層部の強い決意と行動要請、いわば組織のもつ統制力を背景とした慫慂行為と感じさせられるものであつたことは明らかである。検察官は、日教組教育新聞一九七四年三月二九日付号外裏面及び同四月二日付一一八八号冒頭部分に「日教組は四月一一日全一日ストライキ、一三日早朝二時間ストライキを決行することを決め、全国に指令しました。」との記載がある点をとりあげ、これをもつて前記電報が「指令」であつた根拠の一つに引用している。しかし、ここで注目されるのは、右の記事を書く側がこれを指令と理解して書いたとの点ももとよりであるが、それだけではなく、その配布を受ける一般組合員が右の連絡を指令と表現している組合機関誌を見て、何ら違和感を感ぜず、また感じないであろうことを暗黙の前提として、記事中で右のような「指令」との表現がとられているという組合内部の実情の点である。そのような感覚を有する者らがつくる組織内において、前記文面の三・二九指令がなされたことの事実上の慫慂的効果を評価しなければならないのである。そして、この際、検察官指摘のように、三月一九日の第五回全国戦術会議における指令が一般組合員へ広く伝達された形跡が乏しいのに対し、三・二九指令はその頃一般組合員へ伝達された形跡が顕著であることを考えると、前記のように第五回全国戦術会議でストの実施が確認され、被告人槇枝において、それをもつて「指令権発動とする」旨宣言したところで、まだスト決行の日時も特定していなかつたのであるから、右宣言も、これにより、組合員に対して直接具体的にスト決行の強い決意を促すというよりは、その実体は、幹部間における最終的な連絡というに近いものであり、そのためにこそ、その後日時が特定した時点であらためて三・二九指令を発し、これにより、三月一九日の第五回全国戦術会議以来の経過を一括して、一般組合員に対し、具体的日程を示して決断の時が来たことや強固な統一行動を訴え、具体化した上での慫慂的効果をねらつたものと受けとられるのであつて右行為のもつそのような実際的な影響を考えると、これを組合規約等の観点から「指令」と呼ぶべきか否かにかかわりなく、その実質からみて「あおり」にあたるものと考えるのが相当である。

3 右三・二九指令をめぐる被告人ら判示組合役員間の各順次共謀成立の関係については、検察官の主張に対し格別の異論はない。すなわち、右三・二九指令が被告人槇枝ら日教組本部役員の協議を経て発出されたのち、各県教組においてその役員らがその下部組織を通じて組合員に伝達することとしたことによつて、双方の間に順次共謀が成立し、これに基づいて伝達されてゆくという仕組みのものであつたと理解することができる。したがつて、都教組の役員であつた被告人増田についても、右のような意味において、右三・二九指令により「あおり」について共謀責任を負担せざるを得ないものというべきである。

六  被告人両名の四・九指令による「あおり」について

1 被告人槇枝ら日教組本部役員らは、協議のうえ、昭和四九年四月九日、日教組本部名義で「第五回全国戦術会議の決定に基づき予定どおり四月一一日全一日ストライキに突入せよ。」との趣旨の指令を発し(以下四・九指令という。)、同日その旨を各県教組に電話連絡し、右連絡を受けた都教組、北教組、岩教組、埼教組、広教組等においては、各役員らにおいて協議のうえ、下部機関を介して、スト前日である四月一〇日ころまでの間に組合員にその旨を伝達したものと認められる。

2 右の指令の発出・伝達は、その文面の記載自体からみて、一般組合員にストライキ参加への行動を直接かつ最終的に、そして強力にそれを促す趣旨のものであつて、広く一般組合員にも伝達されたものであり、それが「あおり」にあたるとみられることは明らかである。またこれをめぐる日教組本部役員、県教組役員らとの共謀の成立関係についても、三・二九指令について前述したところと同様、右指令の発出、連絡、伝達の経緯に照らして明白である。

証人中小路清雄は、右は指令でなく、中央における情勢の連絡にすぎないという。しかし、連絡電報としては、別の、その内容上連絡とみられる電報があつてこれと同旨とは認め難い。とくに、ここにおいても、これが指令か否かの形式よりも実質的な内容の方こそ重要であること前述のとおりであるところ、右の四・九指令は「ストライキに突入せよ。」という内容のものであつて、右は中央の本部から各地へ組織上の統制力を背景とし、ストライキへの積極的参加を強く促すための指示をする趣旨を中核とし、これを伝えられる者にとっては、一般に、これを指令と何ら異なるところなく受けとられていたものと認められる状況であつたこと、そして発出当初からそのようなものとして出され、その趣旨どおり各機関においても理解されたと認められることなどによれば、かかる実質を備えた行為は、形式上「指令」と呼ぶべきか否かにかかわりなく、その実質はまさしく「指令」であり、「あおり」にあたるものと考えるのが相当である。

第四本件事実関係に基づく固有の主張について

一  異常インフレと不十分な代償措置下でのストライキは適法であるとの主張について

弁護人らは、本件ストライキはその前年である昭和四八年秋以降のオイルシヨツクによる異常インフレによつて目減りした実質賃金の大巾回復など勤務条件の改善を大きな目標の一つに掲げて行なわれた経済闘争であり、当時の異常インフレによる賃金の目減りというような急激な経済的事情の変化に対しては、ストライキ禁止の代償措置とされる人事院・人事委員会制度等は実際上有効に機能することができない状態であつたから、そのような状態のもとで行なわれたストライキは直ちに違法といえず、これに対して地公法六一条四号を適用するのは違憲であると主張する。

そして、前記最高裁四・二五、五・二一各判決は、いずれも、労働基本権を制限するにあたつては、これに代わる相応の代償措置が講じられねばならないとし、また、その趣旨に関し、最高裁四・二五判決における岸・天野裁判官の追加補足意見においては、「この代償措置こそは争議行為を禁止されている公務員の利益を国家的に保障しようとする現実的な制度であり、公務員の争議行為の禁止が違法とされないための強力な支柱なのであるから、それが十分にその保障機能を発揮しうるものでなければならず、またそのような運用がはかられなければならないのである。……もし仮りに、その代償措置が迅速公平にその本来の機能をはたさず実際上画餠にひとしいとみられる事態が生じた場合には、公務員がこの制度の正常な運用を要求して相当と認められる範囲を逸脱しない手段態様で争議行為にでたとしても、それは、憲法上保障された争議行為であるというべきである」とふえん説示されている部分がある(なお、この意見は最高裁五・二一判決においても両裁判官によつて維持され、かつ、団藤裁判官の同調をえている。)。ここに、代償措置が本来の機能をはたさないということの具体的内容はこれだけでは十分明確とは言えないが、右の意見にかんがみ、本件当時、急激な異常インフレによる賃金目減りという事態に対する相応の代償措置が講じられなかったとする弁護人らの主張は、具体的にどの程度の事態を指しているか一応検討を要するところと思われる。

1 本件発生数か月前である昭和四八年秋頃以降の卸売物価や消費者物価上昇の異常さについては、公知のところであり、あえて数値的な裏付けを格別要しないと思われるが、念のため掲げれば卸売物価は同年一一月に、対前月上昇率三・二%(対前年同月上昇率二二・三%)、一二月に、同七・一%(同二九・〇%)、翌四九年一月に同五・五%(同三四・〇%)、同二月に三・九%(同三七・〇%)、また消費者物価は、四八年一二月に三・六%(同一九・一%)、四九年一月に、同四・四%(同二三・一%)、同二月に、三・四%(同二六・三%)という高騰を続け、三月に一時下降に向つたという状態であり(総理府統計局編・物価統計月報)、その上昇は、大幅かつ急激であり、卸売物価の上昇までも著るしく、日常生活用品が高騰し、生活に大きな負担を与えた上、大企業の便乗値上げなどが目立つて社会的不公平感を一般に強く植えつけたことなど、大筋において弁護人ら指摘のとおりであつたことは公知のところであり、本件証拠上もこれを認めることができる。そのため、前年のいわゆる七三春闘により公務員が手にした一五・三九%の賃金上昇分は、同年九月頃には帳消し状態となり、翌四九年三月の本件ストライキ直前の時点では、物価上昇に対して賃金上昇がマイナスとなつていて、賃金引上げを公務員が強く要求してもやむを得ない経済的基盤が存していたとみられることは否定できない。

2 しかし、このように異常な物価上昇、実質賃金の低下に対する公務員労働者側からの経済要求に対し、その間何らの代償措置がとられなかつたというわけではない。すなわち、四八年秋からの物価上昇等に関し、組合側から要求された一〇月一日以降の賃金五%五〇〇〇円引上げの要求に対し、同年の臨時措置として、年度末手当(〇・五か月分)のうちの〇・三か月分を同年一二月に繰上げ支給する措置がとられ、さらに四九年二月、その復元措置をめぐる交渉の結果、右繰上げ支給分に対する復元措置がとられて、同年四月あらためて年度末手当として〇・五か月分の支給がなされたというように、公務員の賃金目減りに対する補償措置が、いずれも人事院勧告による給与法改正という法定の手続を履んで行なわれたことも認められるのである。もとより、右のような措置がとられるに至つたについては、組合側からみれば、人事院がその責任において本来の機能を発揮したのではなく、組合側からの要求に対しても、官民比較が原則なので所要の調査に日時を要すると消極的姿勢を示し、政府も人事院をたてにとつて誠実な交渉に応ぜず、結局ストライキを配置したうえでの政労交渉をつめてゆくなかではじめて、その状況を見て意見具申や臨時勧告がなされたにすぎず、政府と組合側との交渉をはなれて独自に本来の機能を発揮してはいないとの不満は強く、そのことは、組合側証人らの証言中に度々あらわれている。このことからみれば、その間の人事院や政府の対応に、組合側をしてこのように感じさせる姿勢が存したのかも知れないが、しかし、人事院にとつては法規や事柄の性質等から調査に所要の日数を必要とすることも当然ありうることであり、それが組合側の目に迅速な機能を発揮していないと映ることがあつても、必要・相当な期間の限度においてはやむを得ないとも考えねばならない。むしろ、ここで重要なことは、本件の場合、組合側からの要求に対し、いずれも、前記のとおり、繰上げ支給や支給済分の復元措置等を認めていること、それが昭和四八年一〇月下旬の要求に対して同年一二月に、また、翌年三月の支給分につき四月に、それぞれ前記の措置がとられていて、客観的にみれば、なお相当と認められる限度内で比較的迅速に行なわれているという実績であろう。組合側からみれば、所要期間の点でも、また、いわゆる政労交渉による「条件整備」なしには動こうとしなかつたという体質に大きな不満が残る点は理解できなくはないが、そうであるからといつて、人事院による代償措置が迅速公平にその本来の機能をはたしていないとまで批難するのは当つていない。

このような情勢のもとで、本件ストライキが行なわれたものであるが、いまここで、便宜上本件後の人事院勧告の動きをみておくのに、同四九年の給与引上げを見込んで暫定的給与の支給問題が生じていた点について、本件ストライキ後の五月末、暫定支給勧告がなされて、同年六月一〇%引上げ支給がなされ、ついで同年七月二六日、本勧告として、同年四月一日に遡つて二九・六四%、三万一一四四円の給与引上げ勧告がなされ、四月以降調査時までの民間給与の引上げ分、すなわち春闘積残し分が上積みされたためではあるが、公労委の仲裁裁定二九・二七%、二万七五九四円を上廻る数字となり、それらはいずれも右勧告をうけた法改正により完全実施された。また、地方公務員の給与についても、各県人事委員会から、人事院勧告に準じる勧告が行なわれ、年度末手当〇・三か月分の繰上支給、その復元措置、一一〇%給与の暫定支給、昭和四九年四月に遡つて実施されるべき給与引上げの本勧告などいずれも国家公務員に準じた措置が講じられ、実施された。のみならず、前にも述べた通り、地方公務員の給与等は、国家公務員の給与をかなり上廻つているのが実情であつたと認められるのである(昭和四九年四月一日のラスパイレス指数は一一〇・六)。

これらの経過をみれば、本件後においても人事院などの勧告による代償措置制度は、一応その本来の機能をはたしつつある状態にあつたものと考えるのが相当である。

3 そこで、つぎに本件ストライキ突入への経過をみて、これと人事院勧告等の代償措置との間に前記のような関連が存するのかどうかを考えておくこととする。

七四春闘に際しては、春闘共闘委員会からは、昭和四九年一月二五日付(労働大臣あて)、および三月二三日付(内閣総理大臣あて)の書面で各種の要求が出され、その主な内容は福祉対策、税制、公共料金、最低賃金制、官公労働者のストライキ権、週休二日制など純粋に政策にかかわるものもあれば、労働者の勤務条件にかかわるものもあるという混合したものであり、また公務員共闘からは三月七日付(内閣総理大臣あて)書面で賃金改善、ストライキ権その他の労働基本権、週休二日制、年金等に関する諸要求が出され、それぞれ所管事項毎に総理府、労働省等を直接の窓口として交渉が進められ、同年四月九日ころの時点において未解決のまゝ残されていた大きな問題は賃金、スト権の二点であつたように認められる。ところで、公務員の賃金をめぐる従来の交渉のし方を見ると、人事院勧告が昭和四五年からようやく完全実施され、また給与改定時期を四月一日とすべきであるという組合側の主張が同四七年から実施される(地方公務員についても、ほぼ同様である。)に至つた頃までは、人事院勧告実施に関する政府の方針決定期に戦術配置がされ、その完全実施を要求して来ていたが、同勧告の完全実施後は、公務員も自ら民間労働者の春闘相場の形成に参加し、これを押しあげることによつて、その結果を人事院勧告に反映させてゆくほかないとの考えのもとに、昭和四八年からは春闘に参加し、本件ストは、日教組においては、春闘参加二年目にあたつていたものである。そして、この時期には、前述したような急激な異常インフレを基盤として、大幅な給与引上げを得なければならないとの要求があつたことはもちろんであるが、ほかに、給与引上げ決定の方式に関して、人事院勧告より前に、組合側と政府当局との間で引上げ幅をめぐる交渉をつめて、何らかの合意なり政府の意向表明なりを得たうえで、これをその後の人事院勧告に反映させてゆこうとの「人勧体制打破・労使交渉による賃金決定」方式の推進というねらいが強く作用していたものと認められ、そのことが、本件全一日ストライキという強力な手段を行使させる一つの理由にもなつていたと理解される。しかし、公務員の場合の労使交渉というものが持つ意味。その限界等については先に述べたとおりであるし、組合側が、旧来の人勧体制ではいきつくところまでいきついたとして、労使交渉による賃金決定というあたらしい賃金決定方式を強く求めるほか将来への展望がなかつたとしても、そのことと、人事院勧告による旧来の代償措置の制度が、客観的にみて、その本来の機能をはたしていないかどうかとは直ちにつながるものではない。前述したとおり、人事院勧告制度という大枠の中においてではあるけれども、勧告による代償措置の実施という仕組みは、ようやく給与の四月一日改定にこぎつけ、本件ストライキ前後のインフレ時における臨時措置等を含めて、種々の問題点を抱えながらではあつたにしても、本来の機能を発揮する方向へ向けて運用されていたものと考えるべきであろう。本件当時未解決のまま残されていたいま一つの問題、すなわち、公務員のストライキ権をめぐる問題につき、検察官は、これは公務員にストライキ権を付与すべきか否かという政治的問題の解決を図ろうとするもので、政治ストであり、労使交渉の枠外のものであるという。この問題を一挙に解決しようとすれば、右の政治的問題をさけては通れないのであるから、その意味においては右の指摘は当つている。しかし、組合側がスト権問題というなかには、差し当り過去のストライキを理由とする不利益処分の撤回、原状回復措置の要求が実際上かなりの大きな比重を占め、しかも、それらの行政処分を受けた理由をたどれば、人事院勧告の完全実施という、いわば当然の要求を強くしたことを内容としているものがあるという証言が少なからず見られ、正確な実態は不明というほかないにしても、少なくともこれを否定するような立証は存しないのであるから、現在の立証だけをもつてしては、これらの問題を全面的に政治問題と言い切れるかには疑問が残る。しかし、かりに、このようにスト権問題といわれるものの中に、一部政治問題といいかねるものが含まれていると考えてみても、本件当時組合側が掲げたスト権問題に決着をつけようとの姿勢には、政治的色彩の強い問題をも含めたスト権問題全体に決着の糸口をつけたいとの決意のもとに強い闘争手段を選択した経過は否定し切れないし、これに、本件スト直前の四月一〇日、「ゼネストについて」という閣議決定(その要旨は「公務員制度審議会答申を尊重し、三公社五現業等の労働基本権問題に対処するため内閣官房長官を長とする関係閣僚協議会を設置する。右の協議会の結論は二年を目途とする。」というもの。)が突然なされたことに対する組合側からの不満も加わつて、本件ストライキ突入となつたものと認められ、いずれにしても、代償措置の制度が本来の機能をはたしていないためにその是正を求めるというような直接のつながりがあつて生じたストライキでないことは明らかである。

4 以上検討したところによれば、本件春闘要求事項の中で、最後まで残つた賃金、スト権問題をめぐる上述の経過は、直接には、スト禁止に対する代償措置が機能していないとしてその本来の機能回復をはかろうとするものではなく、これとは別個の、あたらしい労使交渉による賃金決定方式に移行していこうとするものであり、このようなケースに対しては、前記全農林事件・岩教組事件に対する最高裁判決の中で、代償措置が機能を発揮していないことを理由として例外的にストが違法でないと考えうる場合があるとされている議論をあてはめることができないことは明白である。

二  可罰的違法性阻却の主張について

弁護人らは、地公法三七条一項、六一条四号を合憲とした前記最高裁四・二五判決等も、公務員の団体行動のうち一定のものにつき違法性の阻却される場合のあることを認めているところ、本件行為は、ストライキの目的が当時の社会的・経済的背景からみて正当であつたこと、すなわち、目的の正当性、単なる労務不提供という本件ストライキの態様、年間教育計画の僅か一日の中断という侵害の程度、急激なインフレ下における要求実現の緊急性等からみて、右罰条が予定している実質的違法性を欠くか又は極めて軽微であつて、法秩序全体の見地からみて違法性が阻却される場合であると主張している。

1 まず、公務員の団体行動とされるもののなかでも、その実質が単なる規律違反の評価を受けるにすぎないものについては、それをあおる等の行為があつても、右地公法六一条四号の罰条にふれるものではないとか、さらに進んで、同条のあおり等の行為に該当する行為であつても、その目的、規模、手段方法、その他一切の具体的附随事情に照らし、右罰条が刑事罰を科するにあたつて予定している程度の可罰性をも欠き法秩序全体の精神に照らし許容されるものと認められるときは、違法性が阻却されることがあるとかいう議論には、当裁判所も、一般論としては異論はない。

2 しかし、本件争議行為が右にいう単純な規律違反の評価を受けるにすぎない場合にあたらないことは明らかであろう。そこで、弁護人らも、後者の場合に焦点をあて、可罰的違法性の存否という本件行為の総合的評価に影響を及ぼしそうな事項を逐一とりあげて、それらに対する個別的検討を加えているのである。そこで述べられている事項については、すでに上述の各関係部分でふれたものが多いので、ここではそれらの点についての個別的な検討ではなく、それらを総合した全体的な観点からの検討をする。本件ストライキの内容や突入の経過を見ると、これに参加した者やその指導をした者らの心情については理解しうる点も少なくない。たとえば、要求項目の一方の柱である四万円位の大幅賃上げ要求という点は、その要求額そのものの当否は別としても、給与生活者が、狂乱物価といわれた当時のインフレ経済事情や、物かくしといわれた社会情勢に対する不公正感のもとで、春闘以後の経済生活の不安を前にしての要求として理解しうるのである。さればこそ、争議行為を法律上禁じられている公務員が、そうとばかりも言つておれない生活不安からストライキに出ることに対しても、これを全面的には許容はしないまでも、ある程度理解し同情しうるものとする感情が、当時、国民一般の間にかなり広い範囲で存したことは、マスコミその他の論調から推認できるところである。

要求項目のもう一方の柱であつたスト権問題の点も、それが一方では公共部門労働者へのスト権付与の当否その他の政治的問題という側面を有していることは否定できないけれども、同時に、労働者にとつて、個々的な勤務条件の内容という問題に劣らず、全般的な勤務条件の決定に影響する経済的問題の側面を有していることも事実であつて、要するに、たとえばかつての何々法反対というような純粋に政治的要求とばかりは言い切れない複合的性質を有していたのであるから、これを労働基本権の保障の範囲外と言い切るのは適当でないと考えられる。のみならず、七四春闘で「スト権奪還」要求といわれているものの実質的内容ないし本音と目されるものは、スト禁止規定の即時撤廃というまでの政策要求というよりも(もちろん将来におけるそのような目標を視野の中ににらんでいるものではあるが)、政府当局側がこの問題解決に誠実に取り組む基本姿勢の確認と、これによつて問題解決が図られるまでの間の刑事罰ないし行政処分の抑制、とりわけ過去の処分についての累積した実損回復をはかる点に当面の重点があつたものとみられ、そのことは、七三春闘におけるいわゆる七項目合意以来の経過を想起すれば、右の交渉にあたつていた政府側関係者にも十分理解されていたのではないかと考えられるし、さらに、ここにいう過去の行政処分のうちのかなりのものが、かつての人事院勧告完全実施要求という、内容自体は当然とみられる要求の実現を目的とするストライキに対するものを含んでいるということを特に否定しうるほどの立証のない本件証拠関係からすれば、少なくとも、七四春闘当時におけるスト権をめぐる争いの実質は、スト権法制化の政策問題というよりも、これと無関係ではないが、半ばその前哨戦的な経済的問題の処理という色合いを強くもつていたといえなくはない。

加えて、スト予定日直前の四月一〇日、政府は、前記のように「ゼネストについて」という閣議決定を行ない、同日参議院予算委員会でその旨の答弁をしたが、当時は、昭和四〇年から八年間にわたる公制審の審議を経ていまだその答申が出ていない段階であつて、組合側にとつては問題解決の引きのばしではないかとの疑念を生じたことも十分考えられ、しかも、七四春闘も山場を迎えて政労交渉が進められているさなかである右の時期に、右のような閣議決定が、突然、労使協議の場においてではなく、右委員会答弁として明らかにされ、それは政府側担当者に対しても唐突な印象を与える経過であつたこと、また右閣議決定の内容が七三春闘におけるいわゆる政府と組合側との間の七項目合意から後退したように映つたことなどが、いろんな意味で組合側を刺激し、後へ退けなくしたという事情もあつたことが認められる。つぎに、本件ストの態様は、単純な労務不提供を内容とし、かつてみられたような積極的妨害行為やこれに類する手段を含むものではなかつたこと、被告人ら組合幹部が争議の指導にあたつてことさら虚偽・誇大な言動を用いたというわけではないこと等の事実もこれを認めることができる。

しかし、スト突入に至る経過について、右のような事情が認められる反面、逆に、組合側の主張にもかかわらず、国民にとつて直ちには納得されにくい問題を含んでいたことも否定できない。たとえば、人事院勧告は昭和四七年から四月一日に遡つての完全実施が行なわれていた。したがつて、組合側としてこの上有利な条件を引き出そうとすれば、勧告の基礎となる調査内容に組合として関与できるような方策の新設を考えるか、あるいは、同年七月の勧告に先立つて、春闘時期に政府との間で給与引上げ額をめぐる事実上の政・労合意を成立させ、これをその後の人事院勧告に反映させてゆくという方法をとらざるを得なかつたわけであろうが、現在の人事院制度は、人事院が独立の調査・勧告権を有し、実際にも独立して公平な立場で勧告をする点に、その勧告結果の説得性が依拠している面が強いのであるから、政・労合意の結果を右の勧告に反映させようとすることは、理くつはともあれ、実際上は、従来のように人事院制度を維持してその勧告内容の充実をはかるというよりは、人事院制度を部分的に否定して労使交渉による賃金決定という新方式への移行を求めようとする主張につながるだけに、そのことの政策的な当否は別として現行人事院制度による保障を建前としている法制度のもとにおいては、到底そのまま一般に許容されにくい問題を抱えているものと思われる。また、過去の行政処分による実損回復の問題も、表面的には経済問題のように見えるけれども、つきつめてゆくとスト権付与の当否という政策問題にゆき当らざるを得ず、その点についての見通しがないまま、便宜的に扱うということの難しい性質が伏在していることも事実であろう。

3 ところで、関係証拠中にあらわれた本件ストライキをめぐる具体的諸事情のなかで、本件行為の可罰性を総合判断するにあたり最も重要と思われるのは、本件ストライキの実施規模、これによる影響の程度、具体的には、本件が全一日ストという極めて強力な手段を用いた争議行為であり、これによつて教育現場にもたらされた混乱は決して過少評価することができないという点である。なるほど、スト参加校の多くにおいては、当日登庁した教職員を動員して、自習、下校時間の繰り上げ等の措置をとり、当日の混乱回避に努めたようであるが、その実態は、当日格別の事故なく終えることができたということはできても、初等教育の目的・性質に照らし、本件ストライキが教育ないし教育現場に及ぼした悪影響には甚大なものがあり、決してこれを軽視することはできない。証人となつた教職員らの中には、一日ぐらいの授業の遅れは年間計画のなかで容易にとり戻すことができるので大した問題ではないかの如く供述する者があつた。事実、定められた教科内容を一年間の枠内で消化できればそれで十分であるという見地からすれば、一日分の教科内容ぐらいは、その後いくらもとり戻せると言つてよいであろう。しかし、一日の授業の欠落が本件のようなかたちで生じること、それが主として低年齢の児童・生徒の教育活動のなかで生じることがもたらす悪影響は、計数的な埋め合わせの可否というようなこととは異質のものであり、そこに又教育職の特質とこれに従事する者のひそかな誇りがある筈である。

そして、そのような全一日ストが、二五の都道府県において行なわれることになり、その一環として本件で起訴事実とされている東京、北海道、岩手、埼玉、広島での本件争議行為も、同様に実施されたのである。局地的でなく、このように全国的な規模において行なわれ、大きな影響がもたらされたことは、やはり重大というべきであろう。もとより、ストライキ当日は、公労協などによる交通ストと重なつていて、教職員らのなかには、登校したくても通勤の足を奪われて登校できなかつたという者も少なからずあつたとみられること上述のとおりであるので、教職員の不登校によつてもたらされた当日の教育現場の混乱を、あげて日教組の本件ストライキの責に帰することもできないが、しかし、その主たる原因が本件ストにあつたという大勢をくつがえすこともできないことは明らかであろう。

4 以上のように考えてくると、本件行為が、地公法六一条四号の予定する罰金刑等をも含む刑罰に相応する程度の違法性を欠くとか、あるいは極めて軽微であつて、法秩序全体の見地からみて違法性が阻却される場合にあたると考えることはできない。

第五公訴権濫用による公訴棄却の申立について

弁護人らは、本件公訴提起は、日教組に対する政治的弾圧を目的としたものであつて検察官のなしうる訴追裁量の範囲を逸脱しており、かつ、本件が違憲の疑いのある罰条を起訴の根拠とし、可罰的違法性なしというべき極めて軽微な事案であること等を考慮すれば、客観的嫌疑のない違法な起訴との評価は免れず、公訴権を濫用したものとして、公訴は棄却されるべきであると主張する。

公訴権濫用を理由とする公訴棄却の理論上の可否、その該当事由の範囲の問題はしばらく措き、先に本件の事実関係についてみるに、昭和四九年四月一一日の全一日ストの規模、すなわちこれに日教組さん下組合員である公立小・中学校教職員で参加した者の数は、度々述べて来たとおり、全国で約一八万人中、起訴事実関係で約六万人余(うち都教組関係約二万四五〇〇人)という多数にのぼつており、その結果かなり広範囲の小・中学校において自習・下校時繰り上げ等の措置をとらざるを得ない事態を生じさせたというのであるから、教育に及ぼした影響は少ないものとはいえず、そのような同盟罷業の遂行をあおつた被告人両名について、一見明白に起訴猶予相当とすべきほどの事情は証拠上認められない。かえつて検察官の立場にたつてみれば、起訴・不起訴に関する通常一般の基準にてらして起訴ということも十分考えることのできる事案と考えられ、少なくとも起訴に値しないことの明らかなものを、政治的意図があつてあえて起訴したとまでは見ることができない。

結局、弁護人らの前記主張は理由がないこととなるので採ることができない。

第六結び

以上の諸点、その他弁護人および被告人らが縷々陳述、主張する事実上及び法律上の問題について、I・L・Oの見解等「国際労働常識と先進諸国の実情」として主張、立証された点をも考慮に入れて逐一慎重、仔細に検討してみたのであるが、前記のように確立された最高裁の判例を覆すにたる合理的な理由、ないし本件への適用を排除すべき特別の事情の存在はついにこれを発見することはできなかつたので、弁護人らの主張は理由がなく、被告人らの本件各所為に対しては、地公法六一条四号の適用を免れえないものと判断したものである。

V 量刑の理由

公務員といえども憲法二八条の労働基本権の保障は受けなければならない。ただ、その争議権については制限を受けても止むを得ない理由の存することは上来説示してきたとおりである。しかし、その限度ないし条件如何の問題は、経済的地位の階層化が進んだ現在の社会事情のもとにおいては、極めて利害の対立が激しい深刻な問題である。I・L・Oの各種委員会の意見や報告、最近のいわゆる公務条約(「公務における団結権の保護及び雇用条件決定手続に関する条約」)採択に至る経過などの国際的な動きと、わが国において昭和四〇年にはじまつた第一次から第三次に至る公務員制度審議会での審議・答申の状況などを対比してみると、問題自体の複雑さに加えて、わが国においてはとくに利害の対立が激しく問題の解決を複雑にしている諸事情が伏在していることを感知することができる。このような利害や意見の対立が今なお膠着状態にあるとみられるわが国の情勢下にあつて、この問題に対するどのような解決方法あるいはどのような解決内容を適当と考えるかは、単に時の政府や労働組合など直接の当事者だけの問題ではなく、国民全体の重要な問題である。それだけに、労・使、あるいは政・労間の問題の処理ないし解決にあたつては、まず、両当事者間の永続的で、誠実・真摯な対応と、これによる日頃からの円滑な関係保持への努力が前提とされなければならない。このことは、労・使の双方当事者に対して、その立場の違いを超えて強く要請されているところであつて、労働組合においても、労働運動という名の下に許される行為には限界があることの一層の強い自制と自覚が望まれるとともに、政府、地方公共団体当局等の使用者側においても、組合側の要求をそのまま応諾するか否かの結果はいずれでもあれ、ともかく労働者側の要求を使用者側においても誠実・真摯に受けとめ、必要な検討をするなどして、それらの対応行為が、国民一般の目からみて、客観的にも真に誠意ある政治的対応が正当になされているものと理解されるようでなければならないであろう。本件訴訟において、弁護人側証人の中には、被告人らが本件ストの要求事項として掲げた各種の問題の処理について、政府側の対応を論難するものがある。その点については、もちろん、政府としてもそれなりの理由があるのであろうし、証言どおりと速断するものでもないが、少なくとも、労働組合側においてそのように受けとめているという事実は、それはそれとして認めざるを得ない。かりに、前提とされるべき政治的対応を十分しないで、単にその結果として生じた外形的混乱に対して刑事罰的対応をくり返すだけに終ることがあれば、問題の根源に対する正しい解決策には到底なり得ないであろうし、問題の解決・処理が、問題の性質や主張の内容的正当性よりも、互いに主張、反駁する者の声の大・小、力の強・弱によつて支配されるという、いわば、力こそが正義であるかの如き行動原理が支配するのであれば、これまた、真の解決を見出すには程遠いものであろう。しかし、被告人らが、このような、問題の根深さや解決の困難さ、あるいは、当時の経済情勢をふまえて本件ストをあおり、企てるに至つた経過等は、もとより、本件犯行の罪質、犯行の動機・原因として量刑一般の評量をするうえの資料として考慮はするが、本件判決は、右のような問題の捉え方、対応の仕方について、これをめぐる政府側の主張や、これと対立する労働組合側の主張のいずれが正しいか、いずれが労働政策としてより得策であるかといつた点に、それ以上に深くふれるものでもないし、ふれることを適当とするものでもない。当然のことながら、当裁判所は、司法的機能の使命と限界を自覚し、現行法制度を前提として、そのもとで、この問題に対する法的判断を明らかにしようとするにすぎない。

そのような観点からこれをみるのに、本件は、日教組による、全国的規模の、全一日ストという強力な手段のストライキに関する事案であり、それだけにその影響も大きく、しかも、その「あおり」等の行為をしたとされている被告人らは、日教組本部中央執行委員長や都教組委員長という、ともに同組合の最高幹部の地位にあつて、本件ストに与えた影響力もそれぞれの地位に応じて大きいとみられることなどからすれば、そのようなあおり行為等の違法性は、同種事犯のなかでもむしろ重大と評価すべきものであることは先に可罰的違法性に関する判断として述べたとおりであり、この点に着目する限り、被告人両名に対する量刑も前記罰条の所定刑中懲役刑を選択して処断すべく、そしてその刑期についても、被告人槇枝と同増田との間には、自ずから軽重があつて然るべきであるという検察官の意見も、通常の事態のもとにおいては、むしろ当然のこととしてよく理解できるところである。

しかし、本件はかつて最高裁四・二判決が、現行地公法六一条四号の解釈として、一定条件を充たす「あおり等の行為」を不可罰・無罪と判示していたのをその後の最高裁四・二五判決が覆して判例変更したのと同一の論点にかかり、しかも、本件ストは昭和四九年春闘の時期に発生したもので、それは、右四・二五判決による判例変更の翌年、最高裁五・二一岩教組事件判決の二年前にあたる。右の四・二五判決から数年経つて最高裁五・二一判決、同名古屋中郵事件判決など同趣旨の判決が相次いでなされたことにより、右四・二五判決による判例変更の趣旨、変更後の最高裁判例の基本姿勢は今日では極めて明確になつたといえるが、本件発生当時は、前記四・二五判決だけがなされていてまだ五・二一判決も名古屋中郵事件判決もなされていなかつたのである。四・二五判決がなされた以上、それはそれとして尊重されなければならないことは当然ではあるが、法曹界はもちろん、世上、なお同一の論点をめぐって四・二判決の見解と四・二五判決の見解とが対立し、後者の判決には、少数意見として四・二判決の基本的理念を変更することを要しないとするいわゆる「五裁判官意見」が付せられていたこともあつて、全体としてはなお二つの意見が対立桔抗している観を呈していたのであり、将来の最高裁判例がどのような線に落ちつくかを予測しようとするとき、四・二五判決が基調になりそうには見えるものの、四・二判決が四・二五判決によつて変更されたのと同様に、その四・二五判決が再びいつ、どのような変容を受けないとも限らないとの反論を客観的には否定し去れるほどの根拠もなく、要するに、外部ないし一般国民の側からみれば、いずれとも確かな予測の困難な浮動状態に近いものと受けとめられてもやむを得ない状態であつたといえる。ところで、特定の罰則の解釈・適用が、裁判所によつて異なり、有罪・無罪の結論を異にするに至るということは下級審においては時に見られることである。しかし、それも、上訴による是正の途が残されている限り耐えられないことではないといえる。これに対し、最終審である最高裁判所の判断が、特定罰則の基本的な趣旨の理解に関して前後大幅に動揺し、これによつて罰則の適用範囲について解釈上大きな変動がもたらされ、本件との関係でいえば、ある時期までは判例上不可罰とされていた行為が、その後は処罰可能な行為と評価されるように変わるということは、きわめて稀で、例外的な特別の事態である。とくに、最高裁判所の判例は、下級審の判例と異なり、一国の終審裁判所が行なう判断として、その問題に関し、その国のあらゆる司法機関においてなされるべき、あるべき法解釈を示すものであり、それ故に、前述したとおり、実務上最大の尊重を受け、下級審に対して事実上の拘束性を及ぼしているのであるから、そのように大きな影響力をもつ最高裁判所の判断が、僅か前後数年間という短期間内に大幅に変更されるということは、そのこと自体にはいかに止むを得ない理由があつたとしても、やはり刑罰適用上、深刻な事態と考えなければならない。とくに、本件の場合、最高裁大法廷多数意見のこのような変遷は、単なる解釈技術上の相違によるものではなく、憲法二八条の労働基本権のあるべき姿をめぐつて、社会内に広く存する考え方の大きな対立と、対立するそれぞれの意見が現行法の解釈として受け入れ可能な程度に、十分の根拠と説得力をそなえていて、相桔抗していることの反映とみられるうえ、労使間に存するこのような対立は、我々の社会に存する経済的地位の対立構造の深層に根ざしていて、容易に融和し難い性質を有しているだけに一層深刻である。このように、右の判例変更には、その間に複雑・困難な問題の伏在と、これをめぐる抜き差しならない意見の対立のあることを示しているのであり、とくに最高裁判所において一度は不可罰とされたような類型の行為につき、その後の判例変更により可罰性ありと判断されるようになつたような場合には、その趣旨が判例上も確固たるものとなり、社会の利害対立関係者間にも正確に理解され、浸透・定着するに至るまでにはある程度の日時を要するのも致し方ない面がある。それだけに、その間になされた犯行については、罰則の適用についても相応の配慮をすることが適当であり、そのような判例動揺の時期に生じた行為に対して、それが判例変更後の所為であることを理由として、直ちに厳しい刑罰の適用をすることは、右のような判例変遷の経過を経た罰則規定だけに、果して望ましいあり方と言えるかは甚だ疑問と考えざるを得ない。変更後のあらたな判例が確立・定着したにもかかわらず、あえて違法を犯すものに対しては、もとより、法規本来の趣旨に従つた相応の処罰をすべきものではあろうが、本件被告人らの判示所為は、いまだ、その確立・定着前と目される風潮、論調のさ中に犯されたものといわざるをえないのであるから、その量刑にあたつては、以上のような配慮をなすのが相当な事犯と思われ、それこそが、むしろ刑罰に関する法の謙抑の精神の合致するものと考える。

その他、本件が、集団的な労務不提供を内容とする争議行為であつて、他に何らかの積極的妨害行為を伴うものではなかつたこと等、弁護人の主張に対する判断の過程でもふれたような諸般の事情を総合考慮すれば、本件においては、被告人らの判示所為が地公法上、刑事処罰の対象とされる違法行為にあたり、労働条件の改善を求めてする団体行動としてではあつても、現行法上許容されるものではないことを明確にし、この種団体行動に対する現行法下での法的判断にけじめをつければ、それによつて本裁判の目的の大半を達することができ、被告人らに対する量刑も、その限度に止めておくのが適当であると考えるものである。当裁判所が、本件量刑にあたり、法定刑中罰金刑を選択したうえ、被告人両名に対する罰金額に差をつけなかつたのは、以上述べたような理由によるものである。

そこで、主文のとおり判決する。

(裁判官 金隆史 秋山規雄 松本信弘)

別紙 訴訟費用負担表

訴訟費用

負担させる被告人

負担割合

証人小林政夫、同坂上元保、同高橋久、同鈴木進、同野見山捷昭、同富田信男、同藤井良二、同山内隆保、同塚本冨美、同鹿山秀佳、同青井哲、同神島惇郎、同古田洋子、同酒井弘道、同石井進、同阿原成光、同三田一則、同正法寺浩之、同関誠、同大木正吾、同中山和久、同中小路清雄(第四八回、四九回公判期日)、同平野一郎に各支給した分

被告人両名

各二分の一

通訳山根邦子に支給した分

右同

右同

証人大宮省三、同青田亮、同工藤敏昭、同岡田芳孝、同袴田信郎、同岡関子、同高柳美知子、同岩下幸郎、同阿部忠、同目時東次郎、同吉田正耕、同鈴木久介に各支給した分

被告人槇枝元文

全部

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例